理事長挨拶

一般社団法人 日本解剖学会
理事長 渡辺雅彦

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日本解剖学会は、1893年(明治26年)に12名の解剖学者が東京大学に集まって開催した第1回解剖学会を起源とする、日本の医学会の中でも最古参学会の一つです。今年(2021年)で128周年を迎え、総会・全国学術集会の開催も先の大戦による3回の中止を挟んで125回を数えるに至っています。現在、約2200人の会員が所属し、その多くが大学や医療専門職養成機関で解剖学の研究や教育に従事しています。このような歴史ある日本解剖学会の第40代となる理事長に就任し、身の引き締まる思いでおります。

解剖学は、生体内の構造や形そのものを解析対象と、またそれを指標として生体内で起きている現象を調べる学問であるため、形態学とも呼ばれます。対象とする構造の大きさに応じた分類では肉眼解剖学、組織学、細胞学があり、構造が出来上がる過程を時間軸に沿って明らかにする発生学、様々な動物間の比較によって構造の意義や進化の過程を詳らかにする比較解剖学があります。遺伝子や分子を基盤とする現代の生命科学研究においては、解剖学は組織・細胞・細胞小器官それぞれのレベルにおいて分子の発現と局在を明らかにする分子解剖学から、核酸やタンパク質の立体構造を解析する構造生物学にまで、その裾野を広げています。試験管内での再構成系で示される様々な新たな生命機能やメカニズムが、実際の生体組織や細胞の中で成立しうるのかを検証し監視する「生命科学のゲートキーパー」として役割も解剖学は担っています。

解剖学の研究発展と深く関わっているのが顕微鏡です。16世紀における顕微鏡発明は、フックによるコルク観察による生命単位としての細胞の発見や、レーヴェンフックによる水中の微生物や赤血球など精密な描画をもたらし、世界を驚かせました。その後、レンズの改良や照明法の開発などによる光学顕微鏡性能の飛躍的向上は、19世紀後半におけるカハールとゴルジによる神経系の構造研究、パスツール、コッホ、北里柴三郎らによる伝染病病原体の同定と治療法の開発という細菌学の発展に結びつきました。まさに、そのような時代背景の中で日本解剖学会が誕生していたことになります。1960年代は、電子顕微鏡の開発と生物学への応用が数多くの大学院生や研究生を解剖学教室に導いた微細形態学研究の黎明期であり、長い解剖学の歴史なかでも特筆すべきエポックとなりました。また、走査型電子顕微鏡のための様々な試料作成法や、フリーズ・フラクチャーやフリーズ・エッチングなどの生物試料の凍結技法も開発され、20世紀は生体構造の理解が飛躍的に進んだ時代にでした。その後の共焦点レーザー顕微鏡の開発と普及、2014年ノーベル化学賞を受賞した回折限界を超える超解像蛍光顕微鏡の開発、走査型電子顕微鏡を用いた三次元立体再構築法の開発など、顕微鏡の技術革新は日進月歩のスピードで加速し、イメージングと名を変えて生命科学の隅々まで普及するに至っています。一方で、分子生物学や細胞生物学の進歩も相まって、生命科学の分野間の垣根はどんどん低くなっています。ふと立ち止まって学問としての解剖学を考える時、その時代時代の先端的技術も取り入れながら、組織や細胞の形へのこだわりを持って生命現象の謎に迫ろうとする姿勢こそが、解剖学のアイデンティティーであると考えます。

解剖学は、医学・歯学・獣医学の学科や医療専門職養成機関における重要な教育科目でもあります。他の基礎系科目と比較して解剖学に関わる講義と実習の占める割合は多く、専門コースに進級後の学生と最も濃密に接する基礎系科目になります。学生にとっては、膨大な解剖学の知識を系統的に習得することで、将来職業人になるための基礎を形作る場となります。さらに、人体の肉眼解剖学実習を学ぶ医学部と歯学部の学生にとっては、献体に対する感謝の気持やその期待に応える責任と自覚に目覚める科目でもあります。解剖学教育に対する関心の高さが、解剖学のもう一つのアイデンティティーであると考えます。その関心対象は、カリキュラム編成や教育方法、遺体の確保と適正な管理、遺体処置における感染症対策、サージカルトレーニングへの対応、技術職員の業務負担軽減、死体解剖資格認定への法令対応など多岐に渡ります。昨年のCovid-19感染拡大の第1波に際しては、感染症を伴う遺体の取り扱いに関する緊急提言を専門家の監修もいただきながら取りまとめ、各大学における解剖学カリキュラムの変更対応に関する緊急調査を実施して実習の実施にかかる提言も行いました。会員が共通して抱える課題に関するシンポジウムやワークショップが多いのも、解剖学会が開催する全国学術集会の特徴になっています。

学会の主な活動は、学術集会の開催、学術誌の刊行、国内外の関連学会との交流、若手研究者の奨励などです。毎年、全国規模の学術集会と6つのブロックごとの支部学術集会を行っています。他学会との交流事業として、日本生理学会とは、合同シンポジウムを定期的に開催している他、これまで2回の合同全国学術集会を開催しています(2011年と2015年)。目下、日本生理学会と日本薬理学会との3学会合同大会開催の検討も始まりました。また、アジア太平洋解剖学会議(APICA、2002年)、国際解剖学会議(IFAA、2004年)などの国際学会も主催してきました。韓国解剖学会や日本顕微鏡学会とも交流協定を結び連携を推進しています。解剖学会が発行している学術雑誌には、年4回発行の英文誌「Anatomical Science International(IF=1.56)」と、年1回発行の和文誌「解剖学雑誌」があり、どちらも今年96巻を迎えます。若手の研究奨励を目的に、優れた研究を行っている若手研究者に奨励賞を授与するとともに、最近発足した若手の会への支援も行っています。

最後に、解剖学と関わりの深い献体制度について触れたいと思います。献体とは、医学・歯学の大学における解剖学の教育・研究のために、生前において自らの体を無条件・無報酬で提供することに同意して大学または関連する団体に登録し、死亡後に遺族あるいは関係者がその遺志に従って遺体を大学に提供する行為を指します。献体は、献体登録者団体と解剖学教室の先人達が長年の取組を通じて築きあげてきた世界に類を見ない先駆的な制度です。1955年に最初の献体登録者団体となる「白菊会」が東京大学医学部に誕生し、その後全国に広がっていきました。1979年日本学術会議は「献体登録に関する法制化の促進について」という勧告を内閣総理大臣に対して行い、1983年「医学および歯学教育のための献体に関する法律(献体法)」が制定されました。現在、医学部と歯学部で実施される肉眼解剖学実習における献体の比率は99%を超え、献体制度は日本の医師・歯科医師の養成を支える基盤になっています。この献体制度を元に、2012年には日本解剖学会と日本外科学会が「臨床医学の教育及び研究における死体解剖のガイドライン」を公表しました。これにより、手術手技研修(サージカルトレーニング)を目的とした遺体利用に生前同意していただいた献体を用いて、医師・歯科医師による手術手技の研修・研究・開発が可能になりました。現在、厚生労働省や文部科学省による支援事業も受けて手術手技研修を実施する大学が漸増しており、かつてない高まりを見せる医療安全を求める国民の声に応えられる体制が整いつつあります。本学会としては、献体制度を基盤とした新たな取組が適正に実施され発展できるよう、真摯に取り組んでいく責任があるものと認識しています。

以上述べました他にも、学会として対処すべき課題は山積しています。学会内外からのご意見をいただきながら、一つ一つに適切に対処していきたいと思っています。皆様の、解剖学と本学会への一層のご理解とご協力をたまわりますようお願い申し上げます。