珍翫鼠育艸(ちんがんそだてくさ)」全訳

東京都神経科学総合研究所 解剖発生部門*
寺島 俊雄
(* 執筆時の所属先)

出典:寺島俊雄著「ミュータントマウスを愛玩した江戸文化の粋」ミクロスコピア誌 9巻 3号 pp.162~169 (1992),同 4号 pp. 268~272 (1992),10巻 1号 pp. 28~35 (1993)(許可を得て転載)

 もしミュータントマウスが無ければ医学生物学の研究は随分と痩せ衰えたものになるだろう。ミュータントマウスはヒトの疾患モデルとしての実験材料としてばかりではなく、形態形成、免疫、発癌など今日の主要な学問テーマの解明に大きく貢献している。ところがミュータントマウスのルーツをたどると江戸時代の京阪神地方の好事家たちが愛玩した変わり種マウスに行きつくと言えば、読者は大いに驚かれることだろう。私は米川博通博士と森脇和郎博士による総説1)を読み、江戸時代のネズミ好きの風流人が歴史的にみて実験用マウスの育成に大きな貢献をしたことを初めて知った。米川博士はマウス発生工学の分野で著名な研究者であり、森脇博士はマウスの系統進化の研究で高名な研究者であるが、同時に江戸時代の愛玩用マウス Japanese fancy mouse に関する古文献や芸術作品の発掘と紹介にも努められている2)。米川・森脇による総説のなかでとくに私が興味を覚えたのは、ミュータントマウス愛好者向けの「珍翫鼠育艸(ちんがんそだてくさ)」という小冊子が、江戸時代中期に出版されていたという事実だった。この古文書は、幸いにも恒和出版から復刻版3)が出ていることを知り、早速注文して手に入れることが出来た。しかし残念なことに原文は草書体で、楷書体しか読めない筆者には、全く読解できなかった。しかも句読点はなく、おまけに平仮名の各文字にもいくつかの種類がある。幸いにも崩した漢字には全て変体仮名で読みが振ってあったので、まず変体仮名を勉強して何とか全文の書き下し文を作ることが出来た。

 ところでこの「珍翫鼠育艸」は、実験動物学を専門とする研究者にとっては以前より大きな関心が払われていた文献らしい4)。実に半世紀も前に、徳田御稔(とくだみとし)博士により英文でその翻訳と解説が Journal of Heredity 誌に掲載されている5)。しかし残念ながら徳田博士の論文は「珍翫鼠育艸」の一部であり、筆者の調べた限りでは、全文の現代語訳はおろか、書き下し文もまだ無いようなので、全文の書き下し文の作成とその全訳を試みた。

1. 珍翫鼠育艸とは

図1 珍翫鼠育艸 (甲南女子大学図書館上野文庫所蔵の上野文庫本) 

 早川純一郎氏によれば、現存する「珍翫鼠育艸」は、少なくとも3冊あるという6)。すなわち甲南女子大学図書館上野文庫所蔵の上野文庫本、香川大学神原文庫所蔵の神原文庫本、国立国会図書館所蔵の国会図書館本である。筆者のもっている復刻本の底本は上野文庫本であるが、この三つの現存する本の内容の異同について、私は現物を見ていないので分からない。まずこの復刻本の表紙を見ると、「珍翫鼠育艸」と表題が書いてある。そのまま読めば「ちんがんねずみそだてぐさ」あるいは「ちんがんそそだてぐさ」ということになろうが、「ちんがんそだてぐさ」と読みが変体仮名で振ってある以上、それに従うべきだろう。おそらく鼠の音「そ」を「育てる」にかけたか、重音がリエゾンして省略されたのだと思われる。こんな所にも江戸の風流人の洒脱なところが現れている。

2. 序文(図2)

(じょ)(ねずみ)(いえ)にありて善悪(よしあし)をしる。(かならず)(ねずみ)集まる時は近き吉事(きちじ)あり。()干支(えと)の始めにして(くわ)は即ち(ごん)なり。三百歳(さんびゃくねん)寿(ことぶき)を経て、人に(のりうつり)年中(ねんちゅう)吉凶(きっきょう)千里の(ほか)之事をしれり。今又こぞって鼠を(もてあそ)ぶこと目出度(めでた)御代(みよ)のしるしなりと端書(はしがき)して言う。天明七ひつじの正月 定延子

【訳】序。ネズミは人家に棲み、物事の善悪をわきまえている。ネズミが集まる家には、近い将来きっと良い事がある。()干支(えと)の最初で、()でいえば(ごん)に位する7)。300歳の齢を重ね、人に憑依して吉凶を(ぼく)し、遠隔の事象をしることが出来る。最近、多くの人々がこぞってネズミを愛玩しているが、これはめでたい世の(しるし)である。天明7年 未年(1787年)の正月 定延子

図2 珍翫鼠育艸 序文

【解説】この書で扱うネズミとはどの種類を指すのだろうか。げっ歯目は1703種を数え、哺乳類全種の40%近くを占めるほど繁栄しているが、中でもネズミ科の種は断然多く1083種もあり、げっ歯目の3分の2を越えるほどである。しかし人家に棲むネズミ、つまり家ネズミにはドブネズミ、クマネズミ、ハツカネズミの3種のみである。従来より「珍翫鼠育艸」中のネズミはハツカネズミ(つまりマウス)であることが自明であるとされているが、ラット(ドブネズミとクマネズミ)の可能性も捨てきれない。ラットも当時愛玩動物として飼われていたからだ8)。しかし図3のネズミと子供の相対的な大きさと、マウスの変異種であることが明らかな(まい)ネズミ Japanese waltzing mouse(コマネズミともいう)の記載があることから、ここでは一応ハツカネズミ(マウス)とする。

図3 ネズミを手にもつ童子の図。「惣じてぶちというは斑(まだら)なり」。

 「必ず鼠集まる時は吉事あり」というように、一般にネズミが集まるのは吉兆とされ、ネズミが家から去るとともに家運が傾くと言われている。しかし裕福な家には食物が豊富で、これを求めてネズミが集まると考えるのが当然だろう。川柳に「ねずみさえ 居らぬ貧しさ 猫飼はず」というのがあるが、ネズミも好んで貧しい家に棲む必要はないのだ。「(ネズミは)年中の吉凶、千里の(ほか)を知れり」というように、ネズミは将来の吉兆、遠隔の事象を知ることが出来るという。例えば中国では、ネズミは人が科拳に合格するかどうか予知するという9)。また日本書紀によれば、遷都に先立ってネズミが旧都から新都に移ったという。ネズミ博士として知られる岡田要博士によると、有名な明暦の大火の際、火事の起こる三日前にネズミが大挙して江戸市内から浦安の方向へ逃げだしたという10)。このほかにも地震や大火の前にネズミが騒ぎだし、いっせいに逃げだすことを記録した古文書は、洋の東西を問わず多々ある。

 ところで「珍翫鼠育艸」の著者が誰なのか、それが実ははっきりしない。序文は「端書(はしがき)して(いう) 天明七ひつじの正月 定延子」で終わっている。「端書(はしがき)して言」とは、これから述べることの内容と取り扱う範囲を著者みずから明らかにすることであるから、この序文は自序文である。したがって定延子(じょうえんし)という人物が著者と思われる。しかし徳田論文では著者は銭屋長兵衛としている。東洋における愛玩マウスの人形や根付を研究した Keeler 博士と Fujii 博士も、著者は Chobei Zeniya としているが、これは徳田論文を孫引きしたものだろう11)。しかし「珍翫鼠育草」の末尾に銭屋長兵衛板とあることから、銭屋長兵衛は版元であって著者は定延子(じょうえんし)なる人物ではないだろうか。

3. 目録

 序文の次に自録(目次のこと)がくる。目録の現代語訳はそれぞれ括弧内に示した。

目録(目次)

一 白鼠(しろねずみ)のはじまり(白ネズミの由来)

一 諸鼠(しょそ)異名(いみょう)(さまざまな愛玩用ネズミ)

一 諸鼠(しょそ)絵図(えず) (さまざまな愛玩用ネズミの図)

一 鼠(とや)にてさけて置くべき心得の事(ネズミを飼育箱で飼うときに避けるべき心得)

一 同()をうみ候て 心得(こころえ)とやのこと(子を産んだ時の心得と飼育箱)

一 豆白(まめしろ)(まめ)ぶちのこと(マメシロネズミとマメブチネズミ)

一 (どう)日々(にちにち)ならびに暑寒(しょかん)食物(くいもの)の事(日々および暑いとき寒いときのエサについて)

一 同(ねずみ)(つよ)くかふ事(ネズミを健康に飼うことについて)

一 (ねずみ)食物(くいもの)善悪(よしあし)の事(ネズミの餌の良否)

一 同牝牡見分様(めおみわけよう)の事(オスメスの見分け方)

一 鼠種取様秘伝(ねずみたねとりようひでん)(鼠の育種法)

一 地鼠(ぢねずみ)の事(野生のネズミについて)

一 珍鼠(ちんそ)の事(珍しいネズミについて)

4. 白ネズミの由来

白鼠(しろねずみ)はじまり

 (それ)(よの)(ことわざ)(まれ)なる(よき)手代(てだい)(あるい)家業(かぎょう)大切(たいせつ)になす召使(めしつかい)白鼠(しろねずみ)といふ事は、人皇(にんわう)百十一代後光明院(ごこうみょういん)の承応三年の(あき)中華(もろこし)より黄檗山(おうばくさん)の開基隠元(いんげん)禅師(ぜんし)本邦(わがくに)(わたら)せ給ひし折節(おりふし)黒眼(くろまなこ)白鼠(しろねずみ)(いっ)(ぴき)を御(なぐさみ)(もた)せ給ひけるが、(その)(のち)()(まし)諸人(しょにん)参詣(さんけい)(つい)()かの(しろ)(ねずみ)をひたすら(のぞむ)(もの)あり。(たっ)て御(ねが)ひ申ければ其ものの望むにまかせ御譲り下されけるに、(その)(ひと)(かの)(ねずみ)をなおなお重宝(ちょうほう)するにしたがひ(いえ)(とみ)(さか)へ、めしつかひに至るまで家内(かない)一統(いっとう)(むつま)し。ほどなく大家(たいか)となり、子孫繁盛をぞなしける、誠なるかな、黒眼(くろまなこ)白鼠(しろねずみ)大黒天(だいこくてん)のつかはしめにして福徳(ふくとく)をいのるにも()の日をまつり、また子は北を司どり、(いん)にくらいして陰陽(いんよう)(とく)(ほう)()をしめし、()をうむ事多く、子孫の()へざるをもって(こう)をすすめ、(もと)よりよはひ(ひさし)くして益々(ますます)すこやかなり。()けるを愛すべき事(これ)にこしたるはなし。よって珍鼠(ちんそ)巻首(かんしゅ)にあらかじめしるすのみ。

【訳】白ネズミの由来

 世の諺に、並みはずれた働き者の手代や、家業を大切にする使用人を「白ネズミ」ということは、111代後光明院天皇の治世の承応3年(1654年)の秋、中国より黄檗山を開かれた隠元禅師がわが国に渡来された時、黒眼の白ネズミー匹を慰みに持ち込まれたことに端を発している。その後、日を経るに従い寺に参詣する人が増えたが、参詣者の中に黒眼の白ネズミを熱心に欲しがる者がいた。その者の熱意に負けて、禅師はネズミを譲ることとした。譲り受けた者は、これを大切に大切に育てたところ、家運は隆盛し、使用人に至るまで家中の者が仲睦まじく、やがて大家となり、子孫に至るまで繁盛した。まさに黒眼の白ネズミは大黒天の使いであり、幸運を祈って祀りごとを行うものも子の日であるし、子は方位でいえば北を司り、陰に配され、陰陽五行の基づく摂理にかない、しかも出産の回数も多く、子孫を絶やすことがないことより孝の道にもかない、もともと寿命は長く、年をとってもなお健康である。生きものに愛情を注ぐことに優ることはないので、とくに本書の冒頭に述べた次第である。

【解説】 白ネズミに限らず、一般に動物の白色変異は瑞獣(ずいじゅう)とされる。しかし白ネズミが珍重されるのは、働きものの使用人を白ネズミということから分かるように、もう少し違う意味があるようだ。後述するように、わが国で珍重されたのは、眼の赤い白ネズミつまりアルビノではなく眼の黒い白ネズミだった。この眼の黒い白ネズミをわが国に伝えたのが「珍翫鼠育艸」によれば隠元禅師である。隠元禅師は明の福建省黄檗山万福寺の禅僧で、1654年に来日し、京都宇治に黄檗山万福寺を建立し、臨済宗の一派黄檗宗を開いた。インゲン豆を日本に伝えた功績でも知られる。

 ところで本書に従えば、隠元禅師は「黒眼の白鼠一疋」を持ってきたことになっているが、一匹のネズミからどのようにして愛玩動物として日本中に広がることが出来たのだろうか。仮に禅師のネズミが雌で妊娠していたとすれば、増やすことは可能であるが、これは少し考え過ぎというものだろう。この部分を英訳した徳田御稔博士は、「一疋の黒眼の白鼠」を「一つがいの黒眼の白ネズミ a pair of black-eyed white mouse」と英訳しているが、この方が自然である。もっとも隠元禅師の伝来した「一疋の黒眼の白鼠」が日本の愛玩用マウスのルーツと考える必要も全くない。歴史的には、中国では紀元前から愛玩用マウスの記録があることから、隠元禅師の来日以前に、中国から日本に愛玩用マウスが伝来していたと推測してもおかしくはない。愛玩用マウスのことを南京(なんきん)ネズミということからわかるように、愛玩用マウスは中国から日本に伝来したものとするのが通説である。したがって、いつから愛玩用マウスを南京ネズミと呼称するようになったかが文献的に分かれば、この問題の解決につながるだろう。

 虫の好かない嫌な男をネズミ野郎などと罵り、裏で悪事を働く人を頭の黒いネズミなどと椰楡するように、ネズミは悪者とされるのが一般である。確かにネズミは食物ばかりでなく衣服や書物を食い荒らし、多くの伝染病を媒介し、果ては電線を食いちぎって漏電の原因をつくったりする嫌われ者である。しかし浅はかな人間は、害にこそなれ益することのないネズミを「福の神」として、子の日に祀るのだから救われない。とはいえネズミを害獣から神獣に格上げするのは、民俗学的にみると全く意味がないわけではない。古事記によると、須佐之男命(すさのおみこと)は娘の須勢理昆売(すぜりひめ)大国主命(おおくにぬしのみこと)の恋を許さず、大国主命にさまざまな無理難題をおしつけた。大国主命は須勢理昆売の助けを得て、ひとつずつ難題を解決していったが、野原に放った鳴り鏑矢(かぶらや)12)を拾ってくるという命令を受けた。野原でその鏑矢を探していた大国主命は、須佐之男命の放った火に包まれ、いよいよ進退きわまったのである。その時ネズミが出てきて、「内はほらほら、外はぶすぶす」(内部はうつろで、外部はすぼんでいる)と言うので、大国主命は足元の地面を踏むと、その下の穴に落ちて、かろうじて火をやり過ごすことが出来た。おまけにネズミが鳴り鏑矢をくわえてきたので、大国主命は首尾よく須勢理昆売と一緒になれた。こうして大国主命とネズミの関係が出来たのだが、それだけでは本書の「黒眼の白鼠は大黒天の使わしめにして」という意味が理解できない。実は大国主命はその音読みの「ダイコク」から、大黒天に通じる。もともと大黒天は仏教の守護神であるが、この大黒天が七福神の一つとなり、さらにわが国では音読みの関係で大国主命と摺り合わせが起こり、民間信仰に深く浸透し、恵比寿などと一緒に台所に祀られるようになった。こうしてネズミが大国主命の使徒から大黒天の使徒へと転じたという。大黒さまの像は、丸い頭巾をかぶり、右手に打出の小槌を持ち、左肩に袋を背負い、両脚に米俵を踏み、しかも必ずネズミを従えている。

図4 当時知られていた15種の愛玩マウスの名称。ぶち、熊ぶち、ふじ、妻白、くぐり、頭ぶち、藤の筋、むじ、とき、あざみ、月のぶち、豆ぶち、目赤白、すじ、黒目の白。

 この大国主命から大黒天への転化は、面白いけれども少々穿った見方と言えるだろう。寺島良安9)によれば、ネズミを大黒天の使いの獣とするのは、甲子(きのえね)の日に大黒天を祀ることに由来するからである。さらに「大黒がどうして常に米穀を盗む獣を愛そうか。おそらく俗説である。」と、軽く一蹴している。良安は、白ネズミを福祥とし、かつ大黒天の使いであるとするのは、たまたま白いネズミの出てくるのを見かけるようなときは、たいてい米倉から(白ネズミが)出てくるからだとも書いている。醒めた見方であるが、案外本当かも知れない。

 「子をうむことが多く、子孫の絶えざるをもって孝をすすめ」と本書に記してあるように、ネズミはその多産の故、商売繁盛、子孫繁栄の神様としても民間の信仰を集めた。子の日に大黒天を祀る神社に、二股(ふたまた)大根(だいこん)を奉納する習慣があるが、もちろんこの二股大根は女性の陰部を象徴するもので、子だくさんのネズミにあやかって子宝を望む庶民の願望の表れであろう。

5. さまざまな愛玩用マウス

図5 代表的な5種の愛玩マウス。右上:頭ぶち、右下:黒眼の白鼠と豆ぶち、左上:熊ぶち、左下:同じく月の熊

「白鼠はじまり」の次に、図3で示したようにネズミを右手にのせ、これを慈しむように見る少年の図が続く。少年の手前には、当時用いられていた飼育箱があり、興味深い。本図に描かれたネズミは、明らかに白ネズミであるが、眼の赤い白ネズミ(つまりアルビノ)か黒眼の白ネズミかは不明である。図の左に、「惣じてぶちというはまだらなり(一般にぶちとは斑のことである)」と説明がついている。図4は「諸鼠の異名。今諸人持あそぶ十五鼠の大概」として、当時の愛好家が所有していた15のペットマウスの名称が示されている。すなわち、ぶち、熊ぶち、ふじ、妻白(つましろ)、くぐり、(かしら)ぶち、(ふじ)(すじ)、むじ、とき、あざみ、月のぶち、豆ぶち、()(あか)の白、すじ、黒眼(くろまなこ)の白である。ただしこの15種の愛玩用マウスのうち、「妻白」と「くぐり」は同義で、ともに全身が黒いネズミの名称であり、「むじ」と「とき」も同義で、とき色のネズミのことである。したがって実質的には13種ということになるが、文中に「豆白」、「芸つき(舞ネズミのこと)」の2種の記載があることより、トータルで15種となる。さらに本書の続編として出版予定となっている「後編新選三鼠録」に、「紅鼠(あかねずみ)」、「浅黄鼠(あさぎねずみ)」、「藤黄鼠(ふじきねずみ)」の名前が出ていることにより、合計で18種の愛玩用マウスが当時知られていたことになる。さらに代表的な5種の愛玩用マウス(熊ぶち、同(つき)(くま)(かしら)ぶち、黒眼(くろまなこ)白鼠(しろねずみ)(まめ)ぶち)について図解してある(図5)。そして「右の(ほか) 毛色(けいろ)をもって重宝する所の品々(しなじな)()を除き生じるの善悪(よしあし)差別(しゃべつ)を次々の紙数に譲りしるすなり(右記のネズミの他にも毛色の珍しいネズミについては、図では示さないが、その作出方法のノウハウを後述する)」とある。このような多数のペットマウスの中には、現在知られているミュータントマウスと同じものがあり、その遺伝子記号を推測することが出来るが、それに関しては「8. 鼠の育種法」の項で明らかにしたい。

6. ネズミの飼育法

1) (ねずみ)(とや)にてさけて置くべき心得(こころえ)の事こと

女鼠(めねずみ)たねをうけ候ば、(はら)(さが)りふくれ候て、牡鼠(おねずみ)をそばへよせず。其時、心得て、さっそくとやを別にすべし。

2)(おなじ)()をうみ候て心得(こころえ)とやの事 

女鼠(めねずみ)子をうみおとし候はば、とやは随分(ずいぶん)ひろきよし。始ての子は二三(ひき)より四五(ひき)なり。両三度にも(およ)ばば七八(ひき)も生む物なり。とや小さければ(しき)つぶす事あり。又八月すぐより四月頃までは、とやの内へわらを入べし。又五月頃より大暑(たいしょ)の時分は、わら入べからず。(ただし)女鼠(めねずみ)身持(はらみ)候時のとやへは暑寒(しょかん)によらずわら入てよし。わらなきときは子育ず。又子は生れし日をしるし(おき)二十日ばかりは親と一処に置おくべし。寒中(かんちゅう)は二十四五日も付置(つけおき)てよし。

3)豆白(まめしろ)(まめ)ぶちの事

豆鼠(まめねずみ)は、はらみ候てもやはり牡鼠(おねずみ)と一所に置べし。つがひわけ候ては、けつく(あと)のうみおそし。一所に置候てもかまひなし。食物(くひもの)一通(ひととおり)(おなじ)事也。

4)同日々(にちにち)ならびに暑寒(しょかん)食物(くひもの)の事

(つね)にとやの内へ黒米(くろごめ)を入置候て、毎日二三度づつめしを入置べし。(すなわち)めしは時々(ときどき)飯米(はんまい)也。又黒米(くろごめ)はいつとても切さぬやうに心得(こころへ)べし。五月すへ六七月頃ごろは、何にもなりとも水を多く入(おく)べし。春より八九月末に至らば大根、水な、青葉(あおは)の類を用ゆべし。

5)同鼠ねずみ強くかふ事

何にても川魚(かわうお)もろこのるいをやき、日々(にちにち)こまかになし、格別(かくべつ)(すぎ)ざるようにくはすべし。鼠、(はなはだ)すこやかになるなり。又、(みぎ)川魚(かわうお)折々(おりおり)あてがひ候へば子を生事(うむこと)早きなり。生魚(なまうお)砂糖るいははなはだ悪し。

6)(ねずみ)食物(くひもの)善悪(よしあし)の事

焼川魚(やきかわうお)巴豆(はず)、塩、青葉(あおは)、この分くすりなり。生魚(なまうお)、まちん、胡椒(こしょう)砒霜(ひそう)(この)(るい)(はなはだ)(わる)し。つつしむべし。

【訳】

1) ネズミを飼育箱で飼うときに避けるべき心得

牝ネズミは妊娠すると、腹が下方へ膨れて牡ネズミを脇に寄せつけない。そんな時は心得て、すぐに飼育箱を別にしなさい。

2(同じく)子を産んだ時の心得と飼育箱

 牝ネズミが子を産んだら、飼育箱は広い方が良い。第1産の子の数は2-3匹から4-5匹である。第2産、第3産にもなると、7-8匹も産むようになる。飼育箱が小さいと子を圧し潰すことがある。また8月の始めから4月頃までは飼育箱の中へわらを入れなさい。5月頃から大暑(陰暦の6月中旬、陽暦の7月24日ごろ)のころまではわらを入れてはいけない。ただし牝ネズミが妊娠している時は、暑さ寒さによらずわらを入れてよい。わらが無いと子が育たないから。また子の生まれた日の記録をとり、20日ほど親と同じ飼育箱に同居させなさい。ただし寒い季節は、24,5日間も親と同居させてよい。

3)マメシロネズミとマメブチネズミ

 マメネズミ(小人症マウス)の場合は、妊娠しても牡ネズミと同居させておきなさい。雌雄を分離すると、必ず次の出産が遅れるから。同じ飼育箱に同居させておいても問題ない。エサは、他のネズミと変わらない。

4)(同じく)日々および暑いとき寒いときのエサについて

 常に飼育箱の中に黒米(玄米のこと)を入れておくほか、毎日二三度ずつご飯を入れておきなさい。これは私たちが毎日食べるご飯と同じものでよい。また黒米は決して切らしてはいけない。5月末から6、7月頃は、何をおいても水を多く入れておきなさい。春から8、9月末にかけては、大根、水菜、青葉などをあげなさい。

5)(同じく)ネズミを健康に飼うことについて

毎日、何につけても、川魚、モロコなどを焼いて細かに砕き、過度にならないように食べさせなさい。ネズミはとても元気になるだろう。またこのような川魚をときどき餌として与えると、出産が早くなる。これに反し、生魚や砂糖などは餌としてとても悪いものだ。

6)ネズミの餌の良否

焼いた川魚、巴豆(はず)13)、塩、青葉、これらはネズミにとって良い。生魚、まちん14)、胡椒、砒霜(ひそう)15)、このようなものはネズミにとても害になり、慎まなければならない。

【解説】珍翫鼠育艸の本文では、ここに挙げた6項目は各々独立しており、飼育法としてとりまとめてはいない。しかし、ここでは解説の便宜上、飼育法として一括した。

 まず第1項の、雌が妊娠した場合ただちに雌雄分離せよという指摘は、現在のマウス飼育法からみても適切である。母親の健康からみて、分娩の前や哺育時期は、雄を雌から離して連続妊娠を避けた方が、母体にとって良いのは当然である。

 第2項の「始めての子は二三(ひき)より四五(ひき)なり。両三度にも及ばば七八(ひき)も生む物なり」という記述も、マウスでは第1産に比べて第2、3産の産仔数が増加する事実とよく符号する。また「生まれし日をしるし置き」とあるように、マウスの系統管理の最も基本である個体の情報に関する記録をとることが江戸時代にすでに行なわれていたことは驚きである。さらに、「生まれてから20日あまりは仔ネズミを母親と同居させよ」という記述は、マウスは生後17-21日で離乳する事実によく合う。また寒いときは仔を親と同居させて離乳を遅くしてもよいとの指摘は、低温下では身を寄せ合って体温の保持に努めるマウスの生態に適っている。床敷として奨めている「わら」は、吸湿性と保温性に優れている。また暑い時にわらを禁じているのは、わらは高温、高湿で発酵し、衛生的に悪いからだろう。また、「女鼠(めねずみ)身持(はらみ)候時のとやへは暑寒によらずわら入てよし。わらなきときは子育ず」とあるように、母親がわらで作った巣は、ケージ内の温度よりも9℃も高く、毛がないため体温の放熱が著しい新生仔にとって絶好の環境である。

 第3項は、小人症マウスの繁殖について記述してある。「(マメネズミは)つがい分けて候えば跡の生みおそし」とあるように、通常は避けなければならない雄と雌の連続同居をマメネズミの場合に限り奨めている。ところでマウスの妊娠期間はほぼ19日だが、分娩後12-20時間で次の発情(分娩後発情)がおこり、雄が同居していれば、交尾妊娠することが多い(これを追いかけ妊娠という)。前述のように、雄と雌を連続同居させると、妊娠と哺乳が重なり母体にとってかなりの負担となるので、これを避けなげればならないが、ある種のミュータントマウスの場合、生殖能力が低かったり、性行動が拙劣なため受精困難なことがある。このマメネズミは、なかなか受胎が成立しないので、あえて連続同居による追いかけ妊娠を期待しているのではないだろうか。

 なお、このマメネズミ(小人症ミュータント)としては、dw マウス(Snell's dwarf;dw/dw)や df マウス(Ames dwarf;df/df)などが考えられる。いずれも下垂体前葉を欠き、好酸性細胞を欠如するので、成長ホルモンがほとんど分泌されない。ただし、dw マウスも df マウスも不妊症で、通常の飼育環境では二・三カ月で死亡する点が、本項の記述とそぐわない。

 ここで一言付け加えておきたいのは、(実は最も基本的なことなのだが)珍翫鼠育艸における「鼠」はマウスではなく、ラットである可能性も残っていることだ。その理由は、前述したように、ラットも愛玩動物として江戸時代に庶民の間で飼育されていたこと、また後述するように、「クマネズミ」を思わせる棚鼠と交配させてはいけない、という記載があることによる。もし珍翫鼠育艸で扱っている鼠がラットであるとすれば、第3項のマメネズミは小人症ミュータントマウスではなく、正常のハツカネズミ(つまりマウス)ということかもしれない。また「鼠」をマウスとした場合でも、マメネズミを小人症マウスではなく、違う種類のネズミ、例えばカヤネズミとする可能性も残る。カヤネズミの頭胴長は5-7cm、体重はわずか 7g 程度で、マウスよりずっと小さい。日本ではこのカヤネズミは茨城県以西の関東地方から、本州、四国、九州、対馬などの平野から低山に分布している。このように、珍翫鼠育艸で扱っているネズミは、数種類のネズミを含んでいる可能性があり、はたして何種類の「鼠」を当時の人が認識していたかを含めて、今後の研究が待たれる。

 第4項から第6項にかけて、ネズミの飼料についての記述が続く。餌として推奨している黒米とは玄米のことで、精米に比較してビタミン等の栄養に富んでいる。今でも、玄米を精白する際にできる米ぬかは、ビタミンB群が豊富でしかも安価なことで家畜の飼料として用いられている。また、琵琶湖特産の淡水魚の「もろこ」などの焼き魚を餌として推奨しているのは、魚は植物性蛋白質にないリジンやメチオニンなどのアミノ酸を多く含み、燐酸カルシウムなどの無機質が豊富なことからみて、適切と思われる。また大根、水菜、青菜などの野菜類は粗線維、ビタミン、ミネラルの供給のため必須である。塩は現在でもあらゆる動物飼料に添加されている必要欠くべからざるものである。本草綱目16)には「鼠は塩を食べると身が軽くなり、砒素を食べれば即死する」という記載がある。また猛毒の巴豆(はず)を推奨しているが、本草綱目によると「魚は巴豆を食べると死ぬが、鼠は巴豆を食べると肥える」とあることより腑に落ちる。餌として悪いものとして、砒霜を挙げているが、これらは殺鼠剤として用いるものだから、当然であろう。

 ところで、最近「6匹のマウスから」という日本の実験動物学の歴史を知るうえで、必見の書物が出版された17)。この本によると、日本における実験用マウスの品質を向上させた野村達次博士は、ご家族と大磯の自宅でマウスを飼育していた頃、押し麦、にぼし、大根菜などをマウスに与えていたとあるが、これらは「珍翫鼠育艸」の推奨するメニューに近くとても興味深い。

7. オスメスの見分け方

牝牡(めお)見分様の事

 鼠おとこをなごのわかちがたき物なり。何鼠にても手に持、あおのけになし、尾を(さげ)見るべし。牡鼠は●より下よほどあき、その下に又●有るなり。鼠により若ければふぐりしれず。此通りになせば(じき)に分かるなり。又牝鼠は右の通、同あおのけになし見る時、●(この)(とおり)(すじ)(あり)て下に●なし。かくのごとくにして()(わく)る時は早速(さっそく)わかる也。

【訳】同じくオスメスの見分け方 

 ネズミの雌雄の区別は難しいものである。どんなネズミでも手にもって、仰向けにして、尾を下にさげて見なさい。牡ネズミは●より下に相当の距離をおいて、また●がある。ネズミが若いと、陰嚢はよくわからない。この通りにすると直ぐに雄であることの見分けがつくようになる。また雌ネズミは雄ネズミ同様に、仰向けにして見ると●このようなスジがあって、しかも下方に●がない。このようにして見分ければ、雌雄の区別は直ぐに出来るようになる。

【解説】マウスやラットを実験動物として使用する研究者にとって、案外難しいのが雌雄の判別である。筆者も、研究を開始したころは、雌雄分離したはずのケージから子供が生まれたり、雌同士をペアリングさせて妊娠しないと嘆いたり、いろいろ恥をかいた経験がある。もちろん性的に成熱した個体なら、腟口や精巣の存在により容易であるが、幼若動物の雌雄判別はいまだに苦しむことがある。精巣下降や腟口の開口が起こってない幼若動物の雌雄の判別は、生殖器(外尿道口を含む)と肛門の距離で判別し、相対的に長いほうが雄である。本書における雄の鑑別法は、●(陰茎)から相当の拒離をおいて●(肛門)があるということで、適切である。さらに「若ければふぐり(陰嚢)知れず」という記述も、マウスでは生後23-25日で精巣の下降が始まり、30-35日ごろに陰嚢の中に入るという事実を的確に言いあてている。一方、本書の雌の鑑別法はよくわからない。「●(陰核あるいは腟ロ)(会陰)このような筋ありて」という部分は分かるが、「下に●なし」とはどういう意味だろう。雌には肛門がないのか!この雌の鑑別法はどうしても理解できない。

8. 鼠の育種法

(ねずみ)種取(たねとり)(よう)秘伝(ひでん)

1)(くま)ぶちつがい合せ候得ば、黒まだらの子出るなり。又、数生み候内には、藤色(ふじいろ)も出るなり。

2)()(あか)き白鼠に熊ぶちの()(ねずみ)を合すときは、(すなわち)まっくろの子いづるなり。是を(つま)(じろ)とも又、くぐりともいふ。しかし其内の子に()(ねずみ)あらば是を育て、()月ばかりも過ぎて右の熊ぶち牡鼠に合わす時は、まっくろにて裏白(うらじろ)、あるひはむねに月輪(つきのわ)のかたちあるを生むなり。

3)熊ぶちの随分(ずいぶん)と白がち()(くろ)のまだら薄きをより出し、右つがひ合し、子をとり、(その)(のち)日数(ひかず)をへて其子をつがひ、色の(うす)きを合せば、黒眼(くろまなこ)白鼠(しろねずみ)出るなり、()重宝(ちょうほう)する白鼠(しろねずみ)(まこと)(これ)なり。()(あか)白鼠(しろねずみ)(まこと)に白鼠をいふにはあらず、(いろ)(しろ)き物の()(あか)きは鼠にかぎらず、血分(けつぶん)のなすなわざなり、(ことわざ)の白鼠といふは、()(くろ)きをいふなり。

4)()(くろ)白鼠(しろねずみ)に同じつがひ合し候得ば、同じ黒眼(くろまなこ)の白鼠いづるなり、(その)生うまれし所の白鼠に何にても毛色かはりたる牡を合せば、(かしら)ばかりへ()の色あらはるるなり、(かしら)より下へは()の通りの白也。則ち此に図にあらはす(図7)。但し目黒き白鼠にかぎり、合し候所の牡鼠の色(かしら)へあらはるるなり。

5)目黒(めくろ)のまだら白鼠(しろねずみ)目黒(めくろ)の白牡鼠をかけるときは、かしらばかりの藤色(ふじいろ)いづる事もあるなり。

6)目黒の白に藤を合せば、白鼠の眼色(まなこのいろ)ようかんいろのごときいづるなり。

7)むじ(もの)つがひ合し候得ば、むじ(もの)いづるなり。むじとはときいろの事なり。又その生まるる所のときいろに、むじの()を合せば、あざみ色いづるなり。此あざみといふは、いまだ見ざる人多かるべし。よくよく此書をかんがえてかん要かん要。

 右しるす処の鼠類の(ほか)珍敷(めずらしき)(たね)いづる事ままあるなり。此書(このしょ)を開き、その奇々妙々なる事を考べし。

【訳】鼠の育種法

1)熊ぶち同士を交配すると、黒まだらの子ができる。また数多く生むうちには、藤色のネズミもできる。

2)目の赤い白ネズミ(の雌)に、熊ぶちの雄ネズミを交配すると全身まっくろの子ができる。このネズミを「(つま)(じろ)」とも「くぐり」ともいう。もし同腹の子の中に、メスがいれば、これを4月ほど飼育し、オス親の熊ぶちネズミと交配すると、黒いけれども腹部が白い「裏白(うらじろ)」、もしくは胸に白い月の輪の模様がある「(つき)(くま)」が生まれる。

3)白い部分の多い熊ぶちネズミで、しかも黒まだらの部分の色が薄いのを選びだして交配し、その子を飼育しなさい。適当な日数が過ぎた後に、同腹の子の中でも黒ぶちの部分の色が薄いのを選んでさらに交配すると、「黒眼(くろまなこ)白鼠(しろねずみ)」が生まれる。世間で珍重される白鼠とは、この黒眼の白鼠のことである。眼の赤い白鼠(()赤白(あかしろ))は、本当の意味での白鼠ではない。毛の色が白くて目の色が赤いのは、ネズミに限らず広く動物界に認められるものであり、血液の成分が原因である。諺でいう働き者を意味する白鼠は、目の色が黒い白鼠のことである。

4)黒眼(くろまなこ)白鼠(しろねずみ)同士を交配すると、同じ黒眼の白鼠が生まれる。こうして生まれた黒眼の白鼠のメスにどのようなものであれ毛色が変わっているオスを交配すると、頭が雄ネズミの色と同色の体毛で覆われた子ができる。ここに図で示した(図7)。頭以外の体毛はメス親と同じ白である。再度注意するが、黒眼の白鼠同志を交配することに限って雄鼠の色がその子の頭部に出現するのである。

5)黒眼(くろまなこ)のまだら白鼠(しろねずみ)のオスに黒眼の白鼠のメスを交配すると、頭部のみ藤色(ふじいろ)の子ができることがある。

6)黒眼の白鼠に藤を交配すると、目の色がようかん色のような白鼠ができる。

7)むじ同士を交配するとむじの子ができる。むじとは朱鷺(とき)のことである。このとき色のオスに、むじのメスを交配すると、アザミ色の子ができる。このアザミ色のネズミをまだ見たことがない人が多いと思われる。十分に本書を吟味して考察することが肝要である。

 以上紹介したネズミの他に、珍しい種類のものが生まれることが時にある。その時は、本書を開いて、色変わりネズミの不可思議な世界について思いを寄せるべきである。

図6 鼠種取様秘伝(ねずみたねとりようひでん)

【解説】本書の「鼠種取様秘伝(ねずみたねとりようひでん)」の部分は著者が最も力を入れた部分で、見出しだけで1ページを占めている(図6)。しかも背景に飼育箱を覆う金網をあしらっているのが、しゃれている。また、本書の記述は現在の遺伝学からみても、ほぼ理にかなったものになっている。まず第1項「熊ぶちつがい合せ候得ば、黒まだらの子出るなり」という記述について分析してみよう。熊ぶちミュータントに関わる遺伝子群としてA 遺伝子座 Agouti locus、B 遺伝子座 Brown locus、S 遺伝子座 piebald locus を挙げることができる。A遺伝子座は毛嚢のメラニン合成に作用し、毛の黄色メラニン phaeomelanin と黒色メラニン eumelanin の量と分布を支配する作用がある。A 遺伝子をヘテロあるいは二つもつと(A/?)、一本の毛は黄色と黒色の縞をもつが、a 遺伝子をホモにもつと(a/a)、黄色の縞がなくなって黒の単色となる。ここで A/? とは、A/A または A/a を意味することとする。またB 遺伝子座は、チロシンからメラニンを作るチロシナーゼの活性とメラニン果粒の大きさ・形を支配する作用がある。B 遺伝子をヘテロあるいは二つもつ個体 (B/?) は、a/a, B/? の場合は黒色となり、A/?, B/? の場合は野生色(アグーチ)となる。またB 遺伝子について劣性ホモの個体 (b/b)は、a/a, b/b の場合はチョコレート色で、A/?, b/b の場合はシナモン色になる。さらにS 遣伝子座は白斑に関する遺伝子で、その劣性ホモ s/s の個体は白斑をもつ。間題の熊ぶちミュータントは、ぶちであることよりs/s、ぶちの部分の色が黒いことよりa/a, B/? が考えられ、全体としての遺伝子型は a/a, B/?, s/s ということになる。もし熊ぶちミュータントの両親の遺伝子型を a/a, B/B, s/s とすると、生まれてくる F1 世代の遺伝子型は全て a/a, B/B, s/s となり、記述のごとく熊ぶちミュータント(つまり黒まだら)となる。

 さらに第1項には「また数生み候うちには藤色もでるなり」という記述がある。これはおそらく、P 遺伝子座 Pink-eyed dilution が関与していると思われる。P 遺伝子は、とくに黒色メラニンに作用し、劣性ホモ p/p の眼、皮膚、体毛の色は薄くなる。そこで両親の遺伝子型を a/a, B/B, s/s, P/p(熊ぶち)とすれば、F1 世代の遺伝子型は、a/a, B/B, s/s, p/p(熊ぶち)、a/a, B/B, s/s, P/p(熊ぶち)、a/a, B/B, s/s, p/p(ふじ)となる。

 次に第2項の「目赤き白鼠に熊ぶちの牡鼠を合すときは、即ち、まっくろの子いずるなり。これは妻白(つましろ)とも又くぐ()ともいう。」という記述を分析してみよう。まず目赤き白ネズミはアルビノと考えられるから、c 遺伝子座 Albino locus について劣性ホモ c/c と推測できる。その理由は(1)c 遺伝子のホモ c/c は皮膚メラノサイト中のチロシナーゼ活性を欠くため、メラニン果粒がないので体毛が白色となり、同時に(2)眼球の色素細胞中のメラニンがないので、血管が透過されて目が赤くなるからだ。ここでオス親の遺伝子型を a/a, B/B, s/s, C/c(熊ぶち)とし、メス親の遺伝子型を a/a, B/B, S/s, c/c(目赤の白)とすれば、F1 の遺伝子型は a/a, B/B, s/s, C/c(熊ぶち)、a/a, B/B, S/s, C/c(まっくろ)、a/a, B/B, s/s, c/c(目赤の白)となり本書の記述どうりまっくろの妻白(つましろ)あるいはくぐ()が生まれることになる。ここでアルビノ遺伝子 c は毛色を支配する遺伝子群のなかで最上位の遺伝子であるから、A 遺伝子座や B 遺伝子座が何であれ、 c/c は目赤の白すなわちアルビノとなることを注意しておこう。またこの項ではオス親を熊ぶち、メス親をアルビノ(目赤の白)としているが、これらに関連する遺伝子群は常染色体上にあり、伴性遺伝をしないことより、オス親をアルビノ、メス親を熊ぶちとしても全く問題がない。もし熊ぶちは哺育が拙劣であるならば、本書のようにメス親はアルビノが望ましいだろう。

 さらに第2項は、「その内の子に牝鼠あらば是れを育て、4月ばかりも過ぎて、右の熊ぶち牡鼠に合すときは、まっくろにて裏白あるいは月輪(つきのわ)のかたちあるを生むなり」と続くが、これは F1 をその親と交配する戻し交配(バッククロス)についての記述である。F1 を両親にバッククロスして、二つのバッククロス世代を得る方法はミュータントの遺伝分析の常套手段であるが、近代遺伝学の知識なしに経験的に体得していたのだろう。

図7 黒眼のメスに色変わりミュータントのオスを交配するとその子の頭にオスの毛色が出現する。

 第3項は本書で最も重要な黒眼の白鼠の作出法である(図7)。「熊ぶちの随分と白がちなる黒のまだら薄きをよりだし、右つがひ合し、子をとり」と書いてあるが、これは W 遺伝子 Dominant spotting を保有しているものと思われる。W 遺伝子についてヘテロの個体は色素減少、白斑、不妊、貧血をしめす。W 遺伝子を2個もつ個体 W/W は、白斑が全身に広がった黒眼の白鼠であるが、重度の貧血のため、生後2週以内に死亡する。しかし、W 遺伝子の代わりに Wv 遺伝子 viable dominant spotting を一つもつ W/Wv マウスは黒眼白毛、貧血、不妊であるが、成体にまで達することがでぎる。したがって、両親の遺伝子型を W/+Wv/+ とすると、その F1 の遺伝子型は W/Wv(黒眼の白鼠)、W/+(黒色白斑)、+/+(正常)ということになる(図8)。1988年、この W 遺伝子座が c-kit をコードすることが判明した。さらに1991年、大阪大学の北村幸彦教授のグループは白毛で黒眼のラットを発見し、黒眼の白ラット Ws/Ws がラット c-kit の変異であることを証明した。そのほか W 遺伝子以外に黒眼の白鼠の遺伝子として考えられるものとして、Sl 遺伝子がある。骨髄における血球の幹細胞の分化の場の障害のため、Sl 遺伝子を2個もつ Sl/Sl マウスは子宮内で死亡するが、Sl 遺伝子のかわりに Sld 遺伝子 Steel Dickie をもった Sl/Sld マウスは、白色黒眼で成体に達する。

図8 黒眼の白鼠の作出法

 遺伝学的にみて、第3項には非常に重要な記述がある。すなわち「世に重宝する白鼠は誠に是れ(黒眼の白鼠)なり。目赤き白鼠は実に白鼠というにはあらず。色白き物の目赤きは鼠に限らず、血分のなすわざなり。諺の白鼠というは目黒きをいうなり」という記述である、このように珍翫鼠育艸の著者は、明らかに「黒眼の白鼠 W/Wv, s/s」と「赤目の白(アルビノ)c/c」を区別している。さらに興味深いのは、「色白き物の目赤きは鼠に限らず」というように、目赤の白すなわちアルビノは動物界に広く存在していることに著者は気づいていることだ。野生動物のアルビノは目立つために捕食される機会が高いので、生存競争において不利であるが、それでも時折、野生サルやニホンカモシカのアルビノなどの記事が、新聞を賑わすことがある。ついでながら手塚治虫のジャングル大帝のレオは、アルビノではなく黒眼の白ライオンに思えるのだが、どうであろうか。また図10に示した葛飾北斎の肉筆画「鮭を食らうネズミ」に描かれているのは黒眼の白鼠ではないだろうか。

図9 黒眼の白ネズミ(写真は阪大北村幸彦博士恵与)
図10 葛飾北斎による肉筆画「鮭を食らうネズミ」。画狂老人卍筆とあるのは、北斎の別名である。

 第3項は、「(アルビノは)血分(けつぶん)のなすわざなり」という記述で終わっている。これは、白子は母親が月経の時に受胎するという、当時一般的に流布していた俗説である。月経として体外へ出ていく分だけ血液が少なくなると、相対的に胎児の毛髪や眼を潤す血液が乏しくなるため色が白くなり、目が見え難くなるという説が当時あった(内経)。もちろん、ご承知のように、月経のときに受胎することはないから、このような説明は無意味なものであるが、江戸時代にもこのような説明に釈然としない人もいたらしい。和漢三才図会の白子の項を読むと、「月経が出ていく時に受胎することは、世に少なくないことであろう。それなのに白子はただ一、二ほどの数でしかない。奇異人は、もともと理をもって論じることはできないのである」とあり、確率論からアルビノ=月経説を論破するところが面白い。アルビノなどの先天性奇形は論理的に説明できないと、半ばあきらめているのは、当時としてはやむをえなかったであろう。

 次に、第4項の「目黒き白鼠に同じくつがひ合し侯えば同じ黒眼の白鼠いづるなり」という記述を分析してみよう。この黒眼の白鼠の遺伝子型を第3項の黒眼の白鼠と同じ遺伝子型 W/W, s/s とすると、このマウスは生殖能力がないから、子供はできないはずだ。W 遺伝子座には多数の対立遺伝子が知られている。たとえば Wf 遺伝子 W-fertile のホモ個体は繁殖可能であるから、これに相当する遺伝子を保有しているマウスが当時のコロニーの中にいた可能性がある。

 さらに第4項には、黒眼の白ネズミ同士の交配によりできた黒眼の白ネズミのメスに色変わりミュータントのオスを交配すると、その子の頭にオスの毛色が出現するという記述が図解入りで続く(図7)。私にはこの記述を理解することができない。もし遺伝学的に説明可能なものであれば教えを請いたい。

 次に第5項の「目黒(めぐろ)のまだら白鼠に目黒の白牡鼠をかけるときは、かしらばかりの藤色いづる事もあるなり」を考えてみよう。p遺伝子はことに黄色メラニンに作用し、チロシナーゼ活性を抑制して毛と眼球のメラニン果粒を著しく減少させる。もし両親とも p 遺伝子座についてヘテロ P/p とすると、その子どもの中に p/p が4分の1の確率で出現する。p 遺伝子について劣性ホモ p/p は、目がピンク色で毛の色が淡く、本書の「藤色」に相当すると思われる。ただし、なぜこのような交配の結果、第4項と同様に頭部のみに「藤色」が出るのかわからない。

 第6項の「目黒の白に(ふじ)を合せば、白鼠の眼色(まなこのいろ)ようかんいろのごときいづるなり」という記述を分析してみよう。p 遺伝子座には多数の対立遺伝子が知られているが、いずれも劣性ホモは紅眼淡色毛となる。なかでも pr 遺伝子は Japanese ruby といって目の色は暗赤色(ルビー色)である。これらの遺伝子間の優劣関係は P > pr > p である。目黒の白に P/pr、藤に p/p を当てはめると、F1 の遺伝子型は P/ppr/p である。P/p は、P > p のため黒色となり、pr/p は、pr > p のため、目の色が「ようかん色」の暗赤色となるのだろう。

 第7項の「むじ物つがひ合し候得ば、むじ物いづるなり。むじとはときいろの事なり。」という記述も難かしくて往生した。徳田論文では、「むじ」あるいは「とき」はピンク色のミュータントのことで、B 遺伝子の対立遺伝子を推測している。またむじ(とき)同士を交配してできるむじを、メス親のむじにバッククロスすると、あざみ色(深いピンク)ができることの説明として、B 遺伝子座のほかに、毛皮の色を薄くする d 遺伝子や、目の色を変える遺伝子群(p 遺伝子など)が関連していると推測している。

9. 地ネズミと舞ネズミ

地鼠(ぢねずみ)の事

人家に沢山(たくさん)に住所の棚鼠(たなねずみ)(とり)、かならず々毛色(けいろ)かわりし鼠に(あは)すべからず。いずれたな(ねずみ)はあらきゆへに一所にはそだちがたし。

(ちん)()の事

毛色(けいろ)かわりし鼠には種取(たねとら)んとおもわば(げい)はあしく、(げい)(つき)候はば(たね)(とる)事あしく。

後編新選三鼠録(しんせんさんそろく)小本一冊を近日出し申候。

紅鼠、浅黄鼠、藤黄鼠、右たねとり様のひでんくわしく記す。又にげたる鼠よびもどすでん。

天明七 (ひつじ)正月 堀川通高辻下る町 

銭屋長兵衛板

【訳】

野生のネズミについて

 人家に数多く棲み付いている棚ネズミをつかまえ、これに毛色の変わったネズミを交配してはならない。棚ネズミは性質が荒いから、棚ネズミと愛玩用のネズミを同じ飼育箱に同居することはできない。

珍しいネズミについて

 毛色の変わったネズミに芸つきネズミ(舞ネズミ)の子を求めても、舞ネズミを得ることはできない。(舞ネズミは繁殖能が低いので)舞ネズミの子をとる事は難しい。

 本書の後編である小冊子「新選三鼠録(しんせんさんそろく)」を近日中に発刊予定である。紅ネズミ、浅黄ネズミ、藤黄ネズミの3種についてその作出法を詳細に記載した。また逃亡したネズミを呼び戻す方法についても記述を加えた。

天明七年 (ひつじ)の正月 堀川通高辻下がる町 

銭屋長兵衛板

【解説】棚ネズミとはどの種のネズミを指すのだろうか。棚鼠という語感からすぐに連想されるのは、天井など高所を軽快に活動するクマネズミである。ラットの一種のクマネズミにマウスを交配することはもちろん不可能であり、種の概念がなかった当時としても、このような異種間交雑は行なわなかっただろう。ところが、もし「毛色変わりし鼠」が、マウスではなくラットであるならば、野生ラットに愛玩用ラットを交配する試み自体は、あながち無駄とはいえまい。現在でも、近交系のマウスやラットに野生種の豊富な遺伝子を導入することは、免疫学や腫瘍学上の大きなテーマである。本書の鼠は全てハツカネズミつまりマウスと仮定して説明してきたが、前述のように江戸時代にはラットも愛玩されていたし、色変わりミュータントラットを示す文書や絵画も多数あることより、本書ではラットとマウスの記述が混在している可能性も残っている。最後にまできてもこの小論で扱うネズミがマウスなのか、それともラットか、はたまたその両方かわからないとは無責任であるが、徳田博士以来、珍翫鼠育艸に興味を示した人は、ほとんど全てこの点について釈然としていないのが実状である。

 次に「芸つきネズミ」の項に移ろう。芸つきネズミとは、舞ネズミ(コマネズミともいう)のことをさし、遺伝子記号ではv(v locus:waltzer)で表示される。舞ネズミは内耳の異常すなわちコルチ器官、らせん神経節、血管条、球形嚢斑の変性を特徴とし、クルクルと回転運動を続け、聾となる劣性遺伝性のミュータントマウスである。「芸付とかく種は取事あしく」というように、舞ネズミは、正常マウスと比較して繁殖能が弱い。この舞ネズミはもともと中国に起源があるらしく、紀元前80年にはすでに記載があるが18)、日本人に深く愛され飼育されていたもので、英語で Japanese waltzing mouse とよばれているぐらいである。この舞ネズミは、前世紀に動物商により、日本から英国、さらに米国に渡ったらしい。舞ネズミは、近交系という概念すらなかった当時としては遺伝子背景が最も均一な集団で、しかも腺癌を多発することより、今世紀の初頭に腫瘍の移植や免疫の研究によく使われた。日本産舞ネズミは惜しくも絶滅したらしいが、その一部の遺伝子は、ヨーロッパ産が主流をなす実験用マウスの遺伝子プールのなかに綿々と生きている。

 「芸つきネズミ」は遺伝性ミュータントで、別に仕込まれもせず回転ダンスをしているのであるが、実は江戸時代には、普通のネズミに芸を仕込むことが行なわれていたらしい。和漢三才図会の「野鼠」の項に、「(野鼠を)あらかじめ飢えさせておいて、水汲みや、書使(ふみつか)いの所作を教えこむと、家ネズミよりも上手に覚える。乞食が市街に出てネズミに芸をさせて銭を人々から貰う」とある。また耳袋には「ネズミに踊りを習わすには、焙炉(ほうろ)(茶や薬などを乾燥するための(かまち)に紙を貼った道具)に火をかけて熱くし、ネズミの後足に草履をはかせてその中に放すと、前足は裸足で熱いから後足で跳びはねるようになる」とある。このようにネズミに芸をさせる風習は、日本ばかりではなく中国にもあったことが、「熱河日記」(東洋文庫325、平凡社)や「北京風俗図譜2」(東洋文庫30、平凡社)に詳しい。

 最後に本書の後編「新選三鼠録」の予告宣伝がある。後編では紅ネズミ、浅黄ネズミ、藤黄ネズミの3種のミュータントについて詳しく記述するとのことである。現在のところ、この後編の所在は不明であり、どこかの古本屋の片隅に山積みされている古書の中に埋もれているかも知れない。いつか探しだして現物を見たいものである。ところで徳田論文では、著者を京都在住の銭屋長兵衛としているが、銭屋某は「銭屋長兵衛板」とあるから版(板)元と思われることは、前述した通りである。

 以上で、拙稿「珍翫鼠育艸」を終わりにしたい。筆者にとっては動物育種は専門外の分野であるので、間違いの多いことを思うと、恐ろしくて冷汗がでる思いである。浅学非才を顧みず、珍翫鼠育艸の現代語訳と解釈に挑戦した理由は、冒頭で紹介した米川・森脇博士による総説を読み、(1)メンデルの先駆者ともいえる人間が日本の江戸時代にいたこと、また(2)当時はマウスを愛玩する文化が日本にあったこと、そして(3)日本人が愛玩したマウスの遺伝子が現在の実験用マウスに導入され、医学・生物学の研究に貢献していることに、いたく感動し、ぜひ多くの人にこの事実を知って欲しいと思ったからである。日本の科学文化を欧米のそれより一等低く見なし、その理由を科学の歴史の浅さに原因を求める向きもあるが、その真意はさておき、私たち自身がもっと江戸時代の科学文化について学ぶ必要はないだろうか。

【補注】

  1. 米川博通、森脇和郎:実験用マウスの過去と未来。医学生物学に役立つ系統育成を目指して。蛋白質核酸酵素 30:1151-1170 (1986)。
  2. 森協和郎:実験用マウスの起源と発展。自然 36:58-68(1981)。
  3. 江戸科学古典叢書 44 博物学短篇集(上)pp. 101-145。上野益三解説。恒和出版(1983)。
  4. 木原均:日本における生物学ならびに関連諸科学の史的回顧、遺伝 22:4-11(1968)。篠遠喜人:日本における進化学と遺伝学との発達(3)、遺伝 27:70-73(1973)。
  5. Tokuda, M. : An eighteenth century Japanese guide-book on mouse breeding. Journal of Heredity 26:480-484 (1937).
  6. 早川純一郎、江戸時代に出版された愛玩用ネズミの本「珍玩鼠育艸」考、ラボラトリーアニマル 4:33-36(1987)。
  7. ()はすなわち(ごん)なり」の「卦」とは、易で算木に現れる形象。八卦が基本で、これにより天地間の変化を表し、吉凶の判断をする。「艮」とは、八卦の一つで、その形を山とし、生死の徳を表す。
  8. 近藤恭司、愛玩動物としてのネズミ一実験動物のルーツ、ラボラトリーアニマル 3:42-43(1986)。
  9. 寺島良安著「和漢三才図会」(東洋文庫6、島田他訳)
  10. 岡囲要、ねずみの知恵、法政大学出版(1974)。この本はネズミの生態ばかりではなく、ネズミの民俗学的、社会文化史的側面まで記述したユニークな本。
  11. Keeler, C. E., S. Fujii, The antiquity of mouse variations in the orient. Journal of Heredity 28:92-96 (1937).
  12. 鏑矢(かぶらや)(かぶら)のついた矢。射ると鏑の穴に風が入って鳴る。
  13. 巴豆(はず)。トウダイグサ科の常緑小喬木。アジアの熱帯の原産。高さ3-6メートル位。葉は卵形。種子をとって巴豆油をつくる。猛毒。
  14. まちん。馬銭。フジウツギ科の常緑喬木。インドなどに産する。馬銭子(まちんし)又はホミカとよばれ、アルカロイドを含み、猛毒。殺鼠剤とし、また興奮剤を製する。ストリキニーネの木。
  15. 砒霜(ひそう)。銅を精練する際に、灰中に残る赤い粉末。一種の砒素化合物。
  16. 本草綱目(ほんぞうこうもく)。明朝の李時珍(1518年 - 1593年)による薬学書で、中国の本草学史上において最も重要な位置を占める。1596年(万暦23年)に南京で上梓。ただちに輸入され、わが国の本草学にも大きな影響を与えた。
  17. 野村達次、飯沼和正著「六匹のマウスから」(講談社刊)マウスやラットを実験動物としている研究者に、是非一読を奨めたい本である。著者の野村達次博士は、戦後の劣悪な研究環境の中で、良質の実験動物を得ることの重要性にいち早く着目し、自宅で苦労を重ねてマウスを飼育し、日本の医学生物学研究者に優れた実験動物を供給した。その一方、(財)実験動物中央研究所という私設の研究所を設立し、これを世界的な研究施設に育てあげた。
  18. Keeler, C. E. 1931. The laboratory mouse. Harvard Univ. Press, Cambridge, Mass., p81.

■追記

本総説に関連して以下の2件の記事がweb上で得られたが、残念ながら現在はリンク切れのようである。

  1. 金子之史:珍翫鼠育艸 としょかんだより(香川大学附属図書館報) No.35, page 2-8, 2002. (この論考はたいへん優れている。)
     URL: http://www.lib.kagawa-u.ac.jp/www1/DAYORI/35/dayori35.pdf
  2. 日本産の愛玩マウス Japanese fancy mouse は、戦前にその系統が途絶えたとされていたが、デンマークで連綿と飼育されていたことがわかり、遺伝研森脇博士等により近交化され JF1/Ms 系統として樹立された。このマウスは、珍翫鼠育艸に記載されている「豆ぶち」に類似しており、またゲノム解析により日本産のネズミであることが明らかにされた。いわば日本産愛玩マウスのお里帰りである。なお「パンダマウス」として市販されていることより、どこかで流出した可能性がある。
     URL: http://ftp.nig.ac.jp/museum/livingthing/16_a.html

筆者が「珍翫鼠育艸」の底本としたのは上野文庫本(甲南女子大学所蔵)であるが、国会図書館本が国立国会図書館デジタルコレクションに公開されている(下記URL参照)。ただし書誌タイトルは「珍玩鼠育草」となっている。また著者名は定延子、出版者は銭屋長兵衛となっていることより、筆者の指摘は正しかったのだろう。
 URL: https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2540511

【謝辞】

 本稿は、ミクロスコピア誌 9巻 3号 (1992)、同 4号 (1992)、10巻 1号 (1993) に掲載された「ミュータントマウスを愛玩した江戸文化の粋」を再編集したものである。再編集とホームページ上への掲載を快く許可してくださったミクロスコピア誌編集長(故)藤田恒夫先生に感謝します。

(平成22年2月14日HP版作成)

(このページの公開日:2020年10月1日)

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