環境要因による脳組織恒常性破綻の微細組織学的機序解明
神戸大学
永井 裕崇

この度は,栄えある日本解剖学会奨励賞を賜り,大変光栄に存じます.選考委員の先生方,学会関係者の皆様に心より厚く御礼申し上げます.これまでご指導いただいた先生方,共同研究者の方々,そして共に研究を推し進めてくれた学生の皆様に改めまして感謝申し上げます.ここでは,これまでの私の歩みと今後の展望についてご紹介させていただきます.
高校生の頃より基礎医学研究を志し,京都大学医学部に入学した4月から研究室の門を叩き,病理学教室の豊國伸哉先生に師事しました.豊國先生からは,生体には美しい組織構造が存在しておりその組織構造が破綻することで病態が生じるという病理組織学的な考え方,すなわち形態は機能に従うというコンセプトの普遍的美しさを教えて頂きました.アスベスト発がん機序の解明とその制御方法の確立というテーマのもと,アスベスト繊維が表面鉄を介して酸化反応の場を提供すること,瀉血で中皮腫の組織悪性度が下がることなどを報告しました.繊維状物質が有する普遍的発がん機構にも興味を持ち,カーボンナノチューブを用いた研究も行いました.結果として,繊維ごとに中皮細胞への侵入様式が異なりナノチューブは物理的に刺入すること,そのため毒性・炎症惹起性・発がん性に直径と剛性が重要であることを示すことができました.この研究は国際がん研究機関の発がん分類基準に採用され,新聞やNHK などでも紹介されるなど,社会的インパクトのある結果となりました.
学位取得後には緻密な組織構造を有する脳を研究したいと考え,米国UW-Madison に留学し,Chiara Cirelli 先生とGiulio Tononi 先生のもとでポスドクを行いました.そこで初めて三次元電顕による脳組織像を見た時,その美しさに衝撃を受けました.あらゆる細胞と細胞内小器官を同時に可視化するこの技術は,世界最高レベルの解像度での脳組織解析を可能にします.その美しさに魅了された私は,優に5000時間を超える時間を画像解析に費やし,発達期マウスにおける睡眠の役割と断眠の影響を神経形態の観点から解析しました.結果として,睡眠にシナプス構造を縮小させる働きがあること,そして短期間の断眠はシナプス構造の増大を招く一方で長期間の断眠はシナプス構造の著明な縮小と数の増大を招くなど,断眠の期間に応じて二相性の形態変化が生じることを示しました.長期間断眠による形態変化は不可逆的で,樹状突起の形態的恒常性破綻を示唆しました.睡眠覚醒サイクで生じる神経形態の変化は微細で,三次元電顕という技術のパワフルさに強い感銘を受けました.
この素晴らしい技術を用いて病態を解明したいと考え,現在は神戸大学の古屋敷智之先生のもとでマウスストレスモデルや老化モデルの研究を行っております.ストレスに供したマウスは行動変容を示しますが,三次元電顕を用いて前頭前皮質を解析すると,ミトコンドリアを含有するシナプスが選択的に構造退縮を起こすことが分かりました.この発見を端緒に解析を進めることで,ストレスが前頭前皮質の中央代謝系変化を介して神経細胞の機能構造退縮や行動変容を招くことが分かりつつあります.並行して実施した解析で,脳領域選択的な代謝変化が生じることや,回路特異的な代謝変化が行動変容に重要であることも分かりつつあります.そのため今後は回路特異的な分子機序解析を展開し,分子,細胞,回路,行動にわたる階層縦断的なストレス病態解明を行いたいと考えています.また,脳と末梢の代謝は不可分です.末梢代謝変化が行動変容と相関し,末梢代謝操作が行動変容を抑制することも見出しつつあります.末梢代謝制御における脳の役割,末梢代謝変化が脳機能や脳代謝に与える影響の解明も視野にいれ,代謝性中枢末梢連関に基づく精神神経疾患の病態解明を推進したいと考えています.
古屋敷先生には仮説を持ち因果関係を検証することの重要性とその戦略について温かくご指導頂きました.三次元電顕は「ものが見えすぎて何を解析するべきか分からない」と言われることもあります.しかし,形態学は新たな現象を発見し,仮説を創成する強力なツールです.分子オミクスや操作的介入との統合により革新的研究基盤になることについて疑いの余地はなく,今後もこれらの技術を用いて形態学の素晴らしさとその力強さを証明していきたいと思います.
今後とも解剖学会,組織形態学分野に貢献していきたいと考えています.何卒ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます.
(このページの公開日:2024年11月21日)