股関節の臨床解剖学的研究

東京医科歯科大学 臨床解剖学分野
森ノ宮医療大学 インクルーシブ医科学研究所
堤  真大

出典:解剖学雑誌96巻pp.18~19 (2021)(許可を得て転載)

この度は歴史と伝統ある日本解剖学会におきまして名誉ある賞を賜り,大変嬉しく,また光栄に存じます.東京医科歯科大学臨床解剖学分野 秋田恵一先生,運動器機能形態学講座 二村昭元先生をはじめ,ご指導いただきました先生方,解剖学教室関係者の皆様方,ならびにお世話になりましたすべての方々に感謝いたします.また,本研究を支えてくださった献体された方々のご意思,またご支援くださいましたご遺族の方々のご理解に厚く御礼申し上げます.今回,私ならびに私の研究についての紹介をする機会を頂きましたので,これまでの研究経緯を振り返りながら,受賞の対象となった研究内容について簡単に紹介させて頂きたいと存じます.

私が肉眼解剖学分野の研究に興味をもったきっかけは,神戸大学医学部保健学科理学療法学専攻に在籍時,荒川高光先生(現神戸大学准教授)の講義を拝聴した時であります.当時,私は“理学療法士”を目指し,神戸大学に入学したばかりの1年生でありましたが,荒川先生はご自身の研究テーマである“ヒト足の母指内転筋の肉眼解剖学的研究”(荒川先生は同テーマで2006年に解剖学会奨励賞を受賞)について,熱く語っておられました.他のどの“理学療法”に関する講義よりも強く惹かれた講義であったことを鮮明に覚えており,荒川先生が本当に楽しそうに研究の話をされる姿に触れ,「こんなに楽しそうに語っている肉眼解剖学の研究は面白いだろうな」と思いました.それから学部の2年生になり,解剖学実習を実際に経験,翌年に熊木克治先生・相澤幸夫先生・影山幾男先生が主催されていた肉眼解剖学セミナー・新潟に参加,セミナーでの所見を日本解剖学会で発表,など学部生の間に様々な肉眼解剖学の分野に触れる機会があり,学部卒業の頃には“理学療法”よりも“解剖学”が好きになっていました.

その後は,そのまま神戸大学の博士課程前期課程に進学し,2本の論文を執筆1)2),理学療法士として病院勤務した期間も経ましたが,荒川先生のご紹介もありまして,2016年秋に東京医科歯科大学へ技術職員として入職,翌年春に同大学の博士課程に進学し,秋田恵一先生,二村昭元先生のもとでお世話になることとなりました.東京医科歯科大学では,受賞の対象となった研究に取り組んだわけでありますが,それと同時に技術職員として献体業務にも深く関わりました.献体という行為がどれだけ多くの人のご理解とご協力,ご支援によって成り立っているのか,肌に触れて実感することができたのは貴重な経験であり,より一層身の引き締まる思いで肉眼解剖学の研究に向き合うようになりました.

研究としては,“股関節”について取り組むこととなりました.このようなことは表立っていうことではないかもしれませんが,そのきっかけは,なかなか研究テーマが決まらない私を見かね,秋田先生がおっしゃられた「股関節でもやったらどう?」の一言でありました.秋田先生は骨盤領域の研究にとどまらず,ほぼ全身にわたって肉眼解剖学の研究業績を残されている先生です.そんな秋田先生が,「どう?」というのですから面白い研究テーマに違いありません.秋田先生も,師匠である佐藤達夫先生から,「爬虫類の骨盤は面白そうだぞ」という一言で研究テーマを決めたとのことでしたので,私にはとりあえず「やってみる」以外の選択肢はありませんでした.何気ない一言ではありましたが,ご多忙の中,秋田先生ご自身が直接声をかけてくださり,「やりなさい」と言うでもなく,限定的なテーマを提示するでもなく,幅をもたせて提案してくださった声掛けに秋田先生の優しさと思慮深さがあったと感じています.先生ご自身はあまり覚えていないと思いますが,私にとってはその一言が印象深く,そのおかげで迷いなく「股関節」研究をスタートさせることができた訳です.

股関節は,安定的な臼状関節であり,「靭帯」や「筋」によって支えられているとされますが,「靭帯」や「筋」による支持機構の破綻が股関節痛や変形性股関節症などの原因とされています.しかしながら,本来安定的であるはずの股関節がどのように不安定になるのか,よくわかっていないことが多く,「靭帯」と「筋」,それぞれの観点から股関節の支持機構を再考することが研究テーマとなりました.
まず,「筋」として中殿筋に着目しました.中殿筋は主たる股関節外転筋でありますが,近年,中殿筋腱断裂という病態が股関節外側部痛の潜在的原因として着目されていました.単純な扇形をしているようにみえる中殿筋ですが,その筋内腱を解析すると,筋内腱は腸骨と大転子の面により,厚い後部・薄い前外側部の2部より構成されていることがわかり,形態学的に脆弱な前外側部が中殿筋腱断裂の病態に関与することが推測されました.従来よくわかっていなかった中殿筋腱断裂の病態において,正確な断裂部位やその範囲を同定するための基盤の形成に貢献したことが,整形外科領域で評価されました3).

「靭帯」としては,股関節の安定性に最も重要とされている腸骨大腿靭帯に着目しました.ここで,本来「靭帯」とは関節周囲の腱膜・腱・関節包との境界が不明瞭な構造です.そういった観点に立つと,「靭帯」による支持機構の理解のためには,股関節周囲の腱膜・腱・関節包からその支持機構を整理することが必要と考えました.腸骨大腿靭帯が起始するとされる下前腸骨棘下方を観察すると,同部位に関節包が幅広く付着していました.この関節包の付着する下前腸骨棘下方には骨の圧痕が存在し,また,同付着部には線維軟骨が分布していました.すなわち,関節包の下前腸骨棘の下方への付着構造は,機械的ストレスに順応した形態を有し,腸骨大腿靭帯の近位付着部そのものであると考えられました.近年,国内外で普及している股関節鏡手術の過程では,関節包の付着部を剥離しますが,「下前腸骨棘下方における関節包付着部の外科的剥離は,術後の関節不安定性の一因になりうる」という臨床症例についての証明となり,その警鐘的示唆が整形外科領域で評価されました4).

さらに,関節包実質部と周囲の腱・腱膜構造に着目すると,小殿筋腱や腸腰筋深層腱膜が関節包に結合しており,これら小殿筋腱・腸腰筋深層腱膜との結合により厚みを成した関節包そのものが,腸骨大腿靭帯の横部・下行部であると考えられました.従来,「靭帯」は一定の可動域に達した場合にのみ働く“静的”支持機構とされ,「筋」は関節の動きに合わせて張力を発揮するため,“動的”支持機構と考えられていました.すなわち腸骨大腿靭帯も“静的”支持機構の一つとして考えられてきていたわけです.しかしながら,本研究により,腸骨大腿靭帯は,小殿筋腱・腸腰筋深層腱膜と関節包の複合体そのものなのですから,筋の張力による影響を受けうる構造であり“動的”支持機構としても考えることができることが明らかになりました.このような「靭帯」についての新しい解釈が,解剖学的に評価されました5).

この一連の研究について振り返りますと,一つ目の研究では,筋内腱・骨形態に着目すると「単一の筋の中に複数の機能的unitが見いだせる」という研究,二つ目の研究は「関節包の付着には幅がある」こと自体に着目した研究,三つ目の研究は「靭帯・関節包は動的な構造である」という研究といえます.これらの研究コンセプトは,直接ご指導くださった二村昭元先生が,肩関節で関節包の付着に幅があることを見出したことをきっかけに,関節包に着目する研究を関節の動的支持機構を再考する研究へと発展させた研究業績の上に成り立っているものであります.整形外科医でもある二村先生に直接ご指導いただけたのは,股関節研究を進める上で大変ありがたいことでした.また,研究室には同世代の大学院生・留学生が多く所属しており,他の運動器領域における研究だけでなく,嚥下・咀嚼筋に関する研究にも直に関わらせていただきました.同世代からの刺激は自身の励みになると同時に学びにもなりました.他の領域で見出せた構造の一般原則を,自身の研究にいかに応用するか,そういったことを常に考えることができました.こうして振り返りますと,いかに恵まれた環境で研究をさせていただいたかを身に染みて感じ,深く感謝の気持ちがこみ上げてきます.

私は,この2021年4月からは,東京医科歯科大学にも非常勤講師として籍をおかせていただきながら,森ノ宮医療大学インクルーシブ医科学研究所で,解剖学的構造のin vivo imaging解析という分野に足を踏み入れることになりました.一連の研究で明らかになった関節の動的支持機構などを超音波画像診断装置やMRIを用いて可視化する試みができればと考えています.また,関節の支持機構は,腱・靭帯・関節包といった,いわゆる密性結合組織を中心に考えられてきましたが,こういった密性結合組織の周囲には疎性結合組織が近接して存在していることが多いです.疎性結合組織は関節周囲の病態を考える上で近年着目されている構造でもあり,肉眼解剖学的手法だけでは可視化できない疎性結合組織の局在や動態について,in vivoでの解析を合わせて行い,その機能的意義を考察したいと考えております.これまでお世話になった先生方への恩返しは,先生方から学んだ研究コンセプトを自身のものとして昇華させ,少しでも肉眼解剖学の分野の発展に貢献することであると思っております.まだまだ未熟ではありますが,日本解剖学会の発展にも貢献できるよう微力ながら精進して参りますので,今後とも皆様のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます.

参考文献

  1. Tsutsumi et al. (2014) Clin Anat 27(4): 645-52.
  2. Tsutsumi et al. (2015) Anat Sci Int. 90(2): 104-112.
  3. Tsutsumi et al. (2019a) J Bone Joint Surg Am. 101(2): 177-184.
  4. Tsutsumi et al. (2019b) J Bone Joint Surg Am. 101(17): 1554-1562.
  5. Tsutsumi et al. (2020) J Anat. 27(4): 236(5): 946-953.

(このページの公開日:2021年12月17日)

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