腫瘍増殖メカニズムにおける核内脂質動態の意義の解明

東北大学大学院医学系研究科 器官解剖学分野
香川 慶輝

出典:解剖学雑誌96巻pp.12~13 (2021)(許可を得て転載)

この度は歴史と伝統ある日本解剖学会におきまして奨励賞を賜り,大変嬉しく光栄に存じます.選考委員ならびに,解剖学会関係者の諸先生方に厚く御礼申し上げます.また,このような栄誉ある賞を受賞できたのは,これまで指導して頂いた先生方や共同研究者の先生方をはじめ,温かいご支援と励ましを頂きました皆様方のおかげであり,この場をお借りして深く感謝申し上げます.簡単ではありますが,ここにこれまでの私の研究の経緯と研究内容を紹介させて頂きます.

私の研究との出会いは山口大学医学部保健学科検査技術科学専攻2年次でした.学生担当教員であった石川敏三先生に「研究をやってみないか」とお声をかけて頂き,石川研究室に出入りするようになりました.石川研究室は難治性の神経障害性疼痛に対する薬理学的アプローチを研究テーマに,急性期,慢性期の疼痛モデルラットを作成し,行動学的・形態学的解析を行っていました.私は,全く基礎知識のないまま,脊髄髄腔内カテーテル留置法をラットに施しては薬剤投与,薬効評価を繰り返していました.学部3年次のある日,明らかに疼痛行動が減弱されたラットと出会い,その時に初めてポジティブデータが得られる楽しさを実感しました.そのまま研究にのめり込み,修士課程へと進学し,山口大学医学部脳神経外科学講座で鈴木倫保先生,野村貞弘先生をはじめ,多くの先生方に指導を受けながら,“局所脳冷却法による神経障害性疼痛抑制効果の検討”,“小児脳性麻痺モデルマウスへのバクロフェン薬効評価の検討”,“小児脳性麻痺に対するES 細胞由来神経幹細胞移植による治療効果検討”など数多くの研究に従事させて頂きました.長時間の手術や急患対応など激務の中で昼夜問わず熱心に指導して頂き,また多くの研究で新たな知見を見出せるような環境をセッティングして頂いた先生方に出会えたことは,私の研究人生に影響を与える大きな転機となりました.さらに,当時脳神経外科学講座と共同研究を行っていた山口大学医学部器官解剖学分野の大和田祐二先生と出会い,基礎研究の楽しさ,やりがいのお話を頂き,博士課程進学を決断しました.これが現在に続く細胞内脂質動態に関する研究のスタートとなります.

長鎖脂肪酸は細胞内で細胞膜の構成を担う他,細胞内でエネルギー代謝や転写など様々な機能に関与します.しかし,長鎖脂肪酸は水に不溶性であるため,細胞内でそれらの機能を発揮するためにはキャリアーを必要とします.そのキャリアーの一つに脂肪酸結合蛋白質(Fatty Acid Binding Protein; FABP)があり,哺乳類では11種類のサブタイプが存在します.それぞれが,時間空間的に異なった発現を示すことに加え,異なった脂肪酸結合特性をもつ中で,脳型FABP(FABP7)は脳アストロサイトに強く発現し,n-9 系不飽和脂肪酸であるオレイン酸や,n-3 系不飽和脂肪酸であるドコサヘキサエン酸やエイコサペンタエン酸に強い親和性を持ちます.FABP7 遺伝子欠損(FABP7-KO)マウスは不安様行動を示すこと(Owada et al. 2006)に加え,プレパルス抑制が減弱していること(Watanabe et al. 2007),さらにヒト精神疾患者のゲノム解析によってFABP7 遺伝子にSNP が観察されること(Shimamoto et al. 2014)が明らかとなり,FABP7 は統合失調症病態に関連する遺伝子の一つとして認知されています.しかし,アストロサイトに発現するFABP7 の異常がなぜ精神疾患に関与するのかは全く不明でした.

そこで私には“アストロサイトにおけるFABP7の分子機能解析”という博士課程のテーマが与えられました.しかし,これまでは与えられたアイデアとデザインの中で研究を行っていただけで,いざテーマが与えられても何をしたらいいのか全く分かりませんでした.私には外国人留学生の同級生がおり,彼には“FABP7-KOマウスにおける神経可塑性変化解析”というテーマが与えられました.幸いにもリンクの強いテーマであったため,つたない英語で彼とコミュニケーションを取り,実験の方向性などを話し合い,初代培養アストロサイトの作成,ウエスタンブロットや定量PCRなど基本的な分子生物学的手法を習得することから始めました.手技のレベルアップは容易に出来たのですが,研究ロジックの構築 が出来るようになるまでは多くの時間を要しました.何度も仮説を立て,実験をおこない,結果を考察することを繰り返しながら,研究の進め方を徐々に学び,ようやく,LPS刺激に対する反応性(サイトカインの産生,細胞内シグナル活性)が野生型,FABP7-KO初代培養アストロサイト間で異なることを見出しました.

博士課程2年次に,学会で名古屋大学の藤本豊士先生(現順天堂大学)の講演を聴講し,細胞外刺激応答に非常に重要なプラットホームの役割を果たす脂質ラフトという細胞膜微小ドメイン構造と出会いました.脂質ラフト研究を行っていた山口大学脳神経外科講座の故白尾敏先生に相談に伺い,アイデアや抗体等の支援を頂き,FABP7-KOアストロサイトでは脂質ラフトの骨格蛋白質であるcaveolin-1の発現が野生型よりも減少すること,リガンド依存性の受容体の脂質ラフトへの移行能が低下することを見出し,これらの結果を学位論文としてまとめました(Kagawa et al. 2015).

学位取得要件をおおよそ満たしたころ,幸運にも同講座の助教として採用して頂き,同じテーマの中で研究を続けることが出来ました.FABP7の分子基盤をさらに詳細に解明したく,FABP7の細胞内局在に着目した解析を始めました.FABP7は脂肪酸等のリガンドと結合することで,蛋白質の立体構造が変化し,核内移行シグナルが新たに形成され,核に移行する特性を持ちます(Kagawa et al. 2019).初代培養アストロサイトでFABP7の免疫染色を行うと細胞質,核共に染色性を示し,特に核に強く染まります.これらの結果から,FABP7の細胞内局在と転写制御に関連性があるのではと仮説を立てました.この仮説を検証し始めようとした頃,大和田先生の東北大学への異動が決まり,私も随伴して仙台に移ることになりました.引越し,新しいラボのセットアップ等で,研究が数か月ストップしてしまいましたが,東北大での同世代の研究者や先生方との出会いで,私の研究は加速的に進歩することとなりました.それまで基本的な分子生物学的手技しかもっていなかった私にはまぶしく見えるゲノム編集技術や質量分析解析など様々な技術を持った先生方が実験手法を教授してくださいました.その後,核移行シグナルや核外移行シグナルを用いてFABP7の局在を人為的に変化させる過剰発現系モデルを作製し,FABP7によるcaveolin-1転写調節機構制御の詳細な解明を行いました.FABP7を核に局在させた時,caveolin-1の転写調節領域のH3K27acレベルが増加すると共にmRNA発現も増加していました.一方で,FABP7を細胞質に局在させてもコントロールと同レベルで変化は見られませんでした.これらの結果はFABP7の核局在がヒストンアセチル化を介した転写制御に関与していることを示唆します.

ヒストンアセチル化を誘導する因子は多々ありますが,近年,核内アセチルCoA代謝系を介したエピゲノム変化が腫瘍増殖などの生体現象に深く関与していることが注目されています(Sivanand et al. 2018).モデル細胞を用いて解析した所,予想通り,FABP7を核局在させた時,核内アセチルCoAが増加する一方で,細胞質に局在させた時と同レベルで変化は見られませんでした.アセチルCoA精製に関与する蛋白質を検索するため,免疫沈降,質量分析を用いてFABP7と結合する蛋白質の網羅的解析を行った結果,結合力の強い蛋白質リストの上位に,驚くべきことに核内アセチルCoAの精製に重要なATP-citrate synthase(ACLY)があるのを発見しました.さらに,FABP7とACLYの相互作用解析の中で,ACLY はFABP7との結合を通して酵素活性を変化させることを見出しました.つまり“FABP7は脂肪酸などのリガンド結合後,核へ移行し,核内のACLYと相互作用によって核内アセチルCoA代謝-ヒストンアセチル化を制御しcaveolin-1遺伝子の転写を誘導する”ことを提示することができました(Kagawa et al. 2020).論文発表までには,長い時間を要ししましたが,最近になって,この知見が,Springer Nature highlights 2020–Neuroscience部門- に選出され,多くの人が注目してくださっていることを知った時に,喜びと共に,また研究を楽しむモチベーションが高まりました.

現在はこれまで得られた知見をもとに,脂質と腫瘍生物学に着目した研究を展開しています.最も高頻度で生じる脳腫瘍であるグリオーマは,近年WHOによりこれまで主流であった形態学診断に遺伝子学的診断が加わり,悪性度,患者予後が広く細分化されました.この分類に基づいたヒト臨床サンプルを用いてFABP7染色を行った所,悪性度が高く,予後不良のグリオーマの細胞核でFABP7が強く発現していることを見出しました.またこのFABP7の核局在と共に,これまで神経細胞で明らかにした知見が見事にフィットするような表現型の結果がグリオーマ研究でも得られております.FABP7による核内脂質動態制御機構を通して,腫瘍増殖メカニズムを説明することで,新たな脂質生物学の知見を見出したいと考えております.

今回,奨励賞とともに,このような執筆の機会をいただき,私自身のこれまでの研究を振り返ることが出来ました.そして改めて,多くの方々の出会いとそのご助力のおかげで,これまで充実した研究生活を送ってこられたことを実感いたしました.今後も“研究の楽しさ”を忘れることなく日本解剖学会の発展に貢献していく所存です.今後とも皆様のご指導を賜りますようお願い申し上げます.

参考文献

  1. Owada et al. (2006) Eur J Neurosci. 24(1): 175-87.
  2. Watanabe et al. (2007) PLoS Biol. 5(11): e297.
  3. Shimamoto et al. (2014) Hum Mol Genet. 15; 23(24): 6495-511.
  4. Kagawa et al. (2015) Glia. 63(5): 780-94.
  5. Ebrahimi et al. (2016) Glia. 64(1): 48-62.
  6. Kagawa et al. (2019) Adv Biol Regul. 71: 206-218.
  7. Sivanand et al. (2018) Trends Biochem Sci. 43(1): 61-74.
  8. Kagawa et al. (2020) Mol Neurobiol. 57(12): 4891-4910.

(このページの公開日:2021年12月17日)

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