中枢神経系の形成と修復に関する研究

大阪大学 大学院 医学系研究科 分子神経科学
藤田 幸

出典:解剖学雑誌95巻pp.29~30 (2020)(許可を得て転載)

この度は,伝統ある日本解剖学会におきまして,奨励賞を賜り,選考委員の先生方,学会関係者の皆様に厚く御礼申し上げます.また,本稿執筆の機会を与えて下さいましたことに感謝申し上げます.

解剖学のこと

解剖学実習を通して,教育や研究に関する多くのことを学びましたので,最初に述べさせていただきます.2010年から解剖学実習に携わる機会をいただいたのですが,私は薬学部出身であり,学生時代に解剖学実習を必須科目として学習した経験がありませんでした.解剖学を指導するには特殊な技術を要するので,名古屋大学大学院医学系研究科で開催されている人体解剖トレーニングセミナーに参加し,手技や知識の多くを学ばせていただきました.セミナーでは多くの教官の先生のもと,約1週間かけて全身の解剖の手技を学ばせていただきました.このトレーニングでの経験が,現在の私の肉眼解剖スキルの基礎となっています.また,この解剖トレーニングでの班ごとの実習を通して,他教室の先生方との交流を広げることもできました.現在では,解剖実習コンソーシアム九州も発足され,肉眼解剖未経験者が学習しやすい環境がより一層整えられつつあります.

また,昨年は,韓国解剖学会総会若手支援事業として,日本解剖学会(JAA)-韓国解剖学会(KAA)ジョイントシンポジウムでの発表の機会をいただきました.3日間の韓国滞在の中でさまざまな分野の韓国の研究者との交流を通して,韓国での解剖学実習の取り組みについてもお話を伺うことができました.韓国では実習前に誓約書を提出するなどの厳重なルールの中で,ビデオ学習により学生が肉眼解剖を学ぶ取り組みもなされているようです.コロナウイルスの流行によりオンライン授業の重要性が高まりつつある中で,新しい授業形態の一つの選択肢を指し示しているように今では感じています.

解剖学の講義や実習を通して,形態学への興味がますます高まり,研究でも培養細胞を用いた細胞内シグナル解析を端緒として,動物個体での神経回路の解析へ挑戦することとなりました.また,日本解剖学会 全国学術集会,近畿支部学術集会では,神経系だけでなく,多様な器官や組織の研究を進めている先生方との交流が広がり,新しい実験手技,アプローチに関するアイデアや議論の良い機会となっています.

研究のこと

私は,中枢神経系の形成と修復のメカニズム解明をテーマに研究を進めています.発生期,秩序正しく必要な遺伝子の発現が変動し,人間活動の基盤となる脳や脊髄などの中枢神経回路が形成されます.一方で,これらの中枢神経回路は疾患や損傷などによって容易に傷ついてしまいます.中枢神経は脆弱で再生能力が低く,一度傷ついた神経回路を修復するのは非常に困難です.大学院生より,中枢神経損傷後,再生を妨げるシグナルの解明に取り組みました.再生を妨げるシグナルの抑制と,神経軸索の伸長を促すシグナルの促進の両手法を合わせると,より効率的な神経回路の修復を実現できることを見出しました.この研究を通して,1種類の因子のみでなく,複数因子を制御する必要性が感じられました.また,90% 以上の疾患関連SNPs がタンパク質をコードする領域以外のゲノム上に存在することも,転写産物以外の遺伝子発現制御機構が病態形成の鍵となることを示唆しています.これらの知見から,現在では,包括的に遺伝子発現を調節する仕組みに着目しています.

次世代シーケンサーを用いた解析技術の革新的進歩や普及により,クロマチン構造もタンパク質と同様に階層的な高次構造をとり,転写を制御することがわかってきました.ヒストン修飾やDNA メチル化など,“直鎖状”のDNA に対するエピジェネティック修飾とともに,クロマチンループ構造やTADs,A/B compartment などのクロマチン高次構造が遺伝子発現を制御することが明らかになってきました.このような“三次元的な”クロマチン構造と細胞機能の関連や,クロマチン高次構造の破綻と疾患や損傷との関連については,まだまだ未解明な部分が多く残されています.

これまでに,クロマチンループの形成を制御する染色体接着因子コヒーシンに着目し,クロマチン高次構造による中枢神経回路形成の制御メカニズムの解明に取り組みました.コヒーシンは染色体の接着に関わるタンパク質複合体で,ヒトでは,Smc1,Smc3,Rad21,Stag1/2 という4つのサブユニットから構成されるリング状の構造を形成します.コヒーシンはクロマチンをループ状に束ね,ゲノム上で離れた位置にあるエンハンサーなどの制御領域を,遺伝子発現に必要なプロモーター領域の近傍に配置することで,空間的な相互作用を可能にし,適切な遺伝子発現を制御しています.コヒーシンを欠損したマウスでは,シナプス形成が障害され,コヒーシン機能が低下した疾患(コルネリア・デ・ランゲ症候群)と同様の神経症状である不安亢進が認められました.近年,クロマチンループ構造の異常が,疾患サンプルや疾患由来iPS細胞でも報告されています.技術革新と共に,クロマチン高次構造の破綻と病態の関連や,クロマチン高次構造自体を標的とした手法の開発を目指す研究がますます加速すると期待されます.

クロマチン高次構造の変動が如何にして神経機能の発現に繋がるのか,解き明かすことが今後の研究目標です.これまで培ってきた神経回路の標識手法と,ゲノムワイドな解析技術の融合が,この目標の達成に有用であると考えています.今回,Review を執筆する機会をいただき,中枢神経系におけるクロマチン高次構造の役割や病態との関連に関して最近の知見をまとめましたので,ご興味ありましたらお読みいただけますと幸いです(日本解剖学会欧文誌 Anatomical Science International, 2021年 第1号掲載予定).

謝辞

このような栄誉ある賞を受賞できましたのは,日頃から温かく励ましてくださる先生方,共同研究者の先生方のご指導のおかげです.この場をお借りして深く感謝申し上げます.本稿に記載した研究は,著者が現所属研究室に大学院生として在学中に開始したテーマであり,長い間にわたってご指導戴きました山下俊英教授(大阪大学)に厚く御礼申し上げます.解剖学会を通じて出会うことのできた先生方との繋がりを大切にしながら,生命現象の根源に近づけるような新しい発見ができるよう,研究を楽しみたいと考えております.今後ともご指導賜りますよう何卒宜しくお願い申し上げます.

(このページの公開日:2020年11月16日)

Anatomage Japan 株式会社

脳科連

IFAA2024

バナー広告の申込について