金関丈夫・その軌跡

中橋 孝博

解剖学雑誌98巻pp.73~74 (2023)(許可を得て転載)
中橋孝博

 金関丈夫は1983年2月27日,最後に居を構えた奈良県天理市でその86年の生涯を閉じた.近鉄奈良駅にも近い奈良基督教会での葬儀の後,遺体は瀬戸内航路のフェリーに移され,九州大学へと運ばれた.「自分の骨を将来の研究に役立てて欲しい」という遺志によるもので,既に九大には自らの手で解剖した父・喜三郎の骨も収蔵されていた.当時,九大第三解剖教授だった長男の金関毅の依頼により,金関の解剖は第二講座を引き継いでいた永井昌文の手に委ねられたが,その毅も2015年,息子の分も含めて三代の骨を研究資料に,と書き残した父の意に従って献体し,2018年には次男で考古学者の恕が,2020年には三男で電子顕微鏡形態学者の悳も加わって,金関の願い通り親子三代・五体の骨が揃う運びとなった.筆者は永井の助手として金関の解剖に立ち会ったのみで,生前の金関の謦咳に接する機会には恵まれなかった.以下では従って金関の著作と中生勝美,三尾裕子,辻明寿らの評論,それに永井を初めとする多くの門下生,関係者の目に映った金関像を通してその軌跡を辿ることにする.

 1897年,香川県の榎井村(現琴平町)に生まれた金関は,松江中学から第三高等学校へと進むが,後に「金関学」とも言われたその多分野にわたる学識を縦横に織り込んだ独特の学風の素地は,この少年期からの読書で培われたようだ.後年,「少年の頃からの乱読と好奇心が禍いし,専門の解剖学以外の種々雑多な事柄に対して,考証癖が昂じて」と述懐しているが,その読書域は童話や小説はもとより,歴史や演劇,落語等にまで及んだそうで,小学六年に岡山に移り住んでからは県立図書館に通って読書欲を満たすようになり,時には父の目を盗んで夜も図書館に居残って叱られたりしている.また中学二年で転居した松江では西洋文学に熱中するほか,やはり図書館にあった西鶴など日本の古典文学の世界に耽溺したという.やがて高校に進学する頃には自ずと文系志望になっていたものの,軍人だった父の強固な反対をうけてやむなく京大医学部へ進学する.その胸には医者と作家業を両立させて名を残したチエホフへの憧憬もあったようで,理系に行くなら医科にしようと決めたのだという.

 医学部卒業後,金関は軟部人類学の開祖・足立文太郎の解剖学教室助手となり,足立の勧めで病理学者ながら津雲貝塚等を発掘して人類学研究に邁進していた清野謙次や,日本最初の考古学教室を開いた濱田耕作にも師事するようになった.1925年には助教授に就任し,その三年後の1928年には大著「人類起源論」を上梓,1930年には博士論文「琉球人の人類学的研究」を提出するなど,この時期の充実した学究生活が窺われる.金関の本領発揮の時期はしかし,その後の台北帝大時代に求めるべきであろう.1934年から1936年にかけて在外研究でアジア~欧米各地を巡った金関は,帰国後に台北帝大医学部教授に就任し,以後1949年に日本へ帰国するまでの13年間,台湾や海南島,さらには中国の諸集団を対象とした人類学・解剖学的調査研究を精力的に進めた.そしてその傍ら,例えば柳宗悦の民芸運動に共感して台湾民芸の発掘,紹介に努めたり,考古・民俗学者の國部直一らと共に「民俗台湾」を発刊したり,さらには林熊生,蘇文石,山中源二郎といったペンネームで「龍山寺の曹老人」,「船中の殺人」などの小説や多くのエッセイを執筆した.戦後日本に帰国してからも文人金関の筆は止まらず,例えば火野葦平,岩下俊作らを輩出した文芸誌『九州文学』にも長年にわたって寄稿している.永井は,徹夜明けで目を充血させた金関がのっそりと教授室から出てくる姿を何度も見たそうで,文理一体の広範な学識が凝縮された,まさに「金関ワールド」へと誘うこれらエッセイ,小論類は,おそらく今後も多くの読者を魅了し続けるに違いない.

 近年,皇民化政策が推し進められていた当時の台湾で『民俗台湾」の刊行に関与した金関について,植民地主義者,レイシスト,はては優生主義者などと批判する声も聞かれる.金関はしかし,長谷部言人や清野謙次といった当時の有力研究者達がこぞって日本人の特殊性,優秀性を謳って現地人との混血阻止を主張していた中,日本人と台湾や中国の人々との「人種」的な違いは「まだはっきり分かっているとは言えない」とし,混血しても「生物学的意味で大した支障はないだろう」と述べて,明らかに一線を画した姿勢を示している.優生学や人種学が先進かつ有用な研究領域と見なされていた当時,厳しい言論統制下でそうした政治,社会趨勢に迎合せず,かといって潰されるほどには抗いもせず,時にはお愛想笑いを浮かべながらしたたかに研究者としての冷徹な姿勢を貫いたのである.それはまた,専門を離れておそらく『民俗台湾』よりも無防備にその人種観が込められているであろう彼の探偵小説でも,同じ台湾を舞台にした佐藤春夫や福田昌夫などに較べて,日本人と台湾人という人種対比の視点がひどく希薄であるという,横路啓子の指摘にも符合しよう.

 長年にわたって金関と調査行を共にし,台湾時代には一時期金関家に間借りして生活まで身近にした國部直一は,金関を,生涯リベラリズムを通した人,と評しているが,もともと金関には「権力」やそれに群がる人達に反感というか,冷めた皮肉な視線を浴びせる傾向があったようだ.岡山の小学生時代,優等生で先生のお気に入りだった佐藤という同窓生を「受け持ち先生のペット」と軽侮し,長じて満州国の大臣から戦後は総理大臣にまで登り詰めたその岸信介にも,決して好意的ではない複雑な感情を吐露している.また,柳田国男の依頼で昭和天皇に八重山調査のスライドを見せた折,退出後に「どうでした」と聞かれた金関は,「思ったより不愉快ではありませんでした」と答えて柳田を絶句させてしまった.あるいは九大時代,医学部長に選ばれながら固辞した姿勢にも,そうした彼の信条が垣間見えよう.後年,木造の九大解剖学教室が取り壊されることになって大掃除をしたとき,金関が書き残した似顔絵が出てきた.永井によれば,金関は教授会で退屈すると,よく周りの教授達を手慰みの餌食にしていたのだと言う.素人目にはなかなか巧みな線描だったが,そう言えば金関は美術への関心,造詣も深く,自身も戦後台湾での留用期に一緒に残っていた國部をモデルに紙芝居風の「國部先生行状絵巻」を描いて,先に日本に帰国していた國部の奥さんを慰めたりしている.

 2019年,かつて金関が台北帝大就任時に京都から移したとされる沖縄の人骨が,地元に返還された.金関の人骨収集については甘んじて批判を受けざるを得ない点もあろうが,ただ,金関が沖縄に寄せた心情を振り返ると,複雑な思いに捕らわれてしまう.金関は台湾を離れるとき,柳田国男が発案した沖縄図書の復興企画に少しでも協力しようと,自身の蔵書に加えて他の引き揚げ者が残した沖縄関係の書籍まで買い取って寄贈している.また戦後に調査で訪れた日本最南端の波照間島でも,その貧弱な図書館に驚いて蔵書を送っているし,調査対象だけではなく厳しい環境下で懸命に働く島民にもレンズを向け,それが柳田を感激させて先に紹介した昭和天皇へのご進講に繋がるのである.また,「郷土史収集への提案」,「沖縄古文化財保護についての私見」などの具体的な提言も公表しており,金関が沖縄の戦後復興を願って「あの美しい綾の大路を歩いて,今一度守礼の門を仰ぐことができなかったら,私の後半生は不幸な半生であろう」と書いたのは,決して美辞,修辞に留まるものではなかった.

 1949年,金関は13年ぶりに台湾から引き揚げ,翌1950年に九州大学医学部に赴任した.以後10年間の金関の研究活動で特に注目されるのは,佐賀県の三津永田や山口県の土井ヶ浜などから出土した弥生時代人の研究であろう.明治以来長く追求されてきたいわゆる日本人の起源問題において,縄文から弥生へと生活文化が激変した時期,人々の身体形質にどのような変化が起きたのか,その実態,要因解明が長年の懸案になっていたのだが,全国を見渡しても肝心の弥生人骨がごく少数に限られていたため,研究進展の大きな障害になっていた.金関は,教室員はもとより多くの関係者を動員して発掘調査を実施し,大量の弥生人骨を初めて議論の俎上に乗せたのである.はたして明らかにされた北部九州・山口地方の弥生人骨は,前時代の縄文人には無かった,不連続とも言える大きく異なった特徴の持ち主であった.金関はこの事実をもとに,日本人の形成に大陸から稲作などの先進文化と共に渡来した人々の遺伝的影響を想定した「渡来説」を提唱するが,しかし当初は土井ヶ浜人などの祖型となるべき大陸の人々の存在が未確認だったこともあって,多くの支持を集めるには至らなかった.学会の賛同は,弥生人の形質変化を文化変容に結びつけた鈴木尚の「小進化説」に集まっていたのだが,その後同時代の大陸各地で北部九州・山口地方弥生人に酷似する人々の姿が浮かび上がり,各種遺伝学的な調査や考古学的な新たな発見,検証も加わって,現在では日本人の成立に関する代表的な学説として評価を高めている.

 先年,永井に土井ヶ浜発掘の頃の話を聞いたとき,真っ先に出てきたのは地元名産の甘い饅頭を買いに行かされたことだった.それは結局,酒を飲まなかった金関の口に入るしかないものだったが,金関は参加者が調査に倦むことがないよう,宿舎で興じる様々なゲームや景品まで用意していたそうで,みんなが酒を飲み始めるとイヤーな顔をして席を外したという.ただし,もともと金関は自宅でも夕食後に「勉強の時間」なるものを設けて,時間が来ると部屋に引き籠もるような生活を続けていたらしく,いつだったか酒好きの長男毅は,「あれだけはまねできなかった」とウイスキーのグラスを傾けながらこぼしていた.知の巨人,南方熊楠の再来,現代のゲーテ,あるいはアメリカ人歴史家のジョージ・カーからは,日本のダビンチ,とよばれたりした金関の博覧強記,多芸多才ぶりは,当然ながら一朝一夕でできあがったものではない.1979年,「南島の人類学的研究の開拓と弥生時代人研究の業績」により朝日賞を受賞したとき,金関は,「自分はいろんな仕事をしてきたが,一つの仕事を最後までやり遂げる事が少なく,途中で別のことに移ってしまうので,本当に立派な仕事をしたことがない.それなのにこんな有り難いことになって」と,恥ずかしそうに挨拶したという.人類学とは本来,文理を問わず広く関連の知を統合して人間の総合理解を目指すものであるなら,金関丈夫はまさに古今を通じて希有なその体現者であった.

懇話会だより

人類形態科学研究会

 人類形態科学研究会は2023年3月17日に東北大学にて学術集会を行った.肉眼解剖学分野から久留米大学・渡部功一先生の講演を,人類学分野から山梨大学・安達登先生の講演を賜り,会場内で質疑応答を行った.以下に,講演抄録を掲載する.

講演1・渡部功一「手術から見た顔面軟部組織解剖」
 「近年,顔面軟部組織の新たな構造物が次々と報告されている.これらは主として結合組織で構成されており,系統を基にした肉眼解剖では観察の対象とされていなかった構造物である.これらの構造物を観察するため,我々はStretched Tissue Dissection 法という新たな解剖方法を開発した.本法は実際の手術のように伸展剥離した時と同じような力が組織にかかるために,手術に近似した解剖所見を得ることができる.講演では抗加齢治療手技の歴史的変遷と解剖学的構造物の関係性について述べ,実際の解剖学的所見を提示した.」

講演2・安達登「他人のそら似,それとも‥:古人骨の形態的類似性と遺伝的類似性の関係」
 「日本列島各地の縄文時代人についてミトコンドリアDNA分析を進めた結果,この集団はハプログループN9b およびM7a を中心とする,世界のどの集団とも異なる極めて特異な遺伝子型の頻度分布を示すことが分かった.また,遺伝子型の頻度分布は地域ごとに異なり,縄文時代人には遺伝的地域差がある可能性が示された.しかし,核ゲノム分析では遺伝的地域差が判然とせず,今後,個体数を増加させた集団内部での分析によって地域差を検討する必要があると考えられた.」

(聖マリアンナ医大・解剖 星野敬吾)

肉眼解剖学懇話会

 佐藤達夫先生(東京医科歯科大学名誉教授)と故山田到知先生(元金沢大学名誉教授)が初代世話人となり開始された本懇話会は,肉眼解剖学とその周辺の最新の学術的話題を深く掘り下げる会である.世話人は小泉政啓先生(東京有明医療大学)から引き継ぎ,第33回以降は荒川がつとめている.入会・退会の規約はない.現在はハイブリッド開催を基本としている.2023年3月17日に第43回肉眼解剖学懇話会を開催した.抄録概要は下記の通り.

1.西村剛(京都大学ヒト行動進化研究センター)
「声帯膜の喪失と音声言語の進化」
私たちは,サル類の声帯の形態とその振動特性について,多角的に検討した.サル類の声帯には,必ず,声帯膜が付加されているが,ヒトはそれを喪失する.サル類では,声帯膜により,経済的に声帯振動が起こるが,非線形現象が容易に生じて,音源の安定性に欠ける.ヒトの単純な声帯形態は,長く安定した音源を可能にし,音素を連ねる音声言語に適応的であることを示した.

2.岩永壌(東京医科歯科大学大学院 口腔顎顔面解剖学分野)
「下顎管研究の歴史的変遷と臨床応用」
下顎管は古くから解剖研究が行われてきたが,歯科インプラントの普及やコーンビームCT の開発により再度注目を浴びるようになった.本発表では,下顎管の名称の歴史的変遷や専門分野・国地域による使い方の違いなどを考察し,また,下顎管の過去の肉眼解剖研究や最近の画像研究により明らかとなった下顎管の形態やその臨床応用について解説を行った.

(神戸大学大学院保健学研究科 荒川高光)

生殖系懇話会

 生殖系懇話会は,小路武彦先生(長崎大学),菱川善隆先生(宮崎大学),伊藤正裕先生(東京医科大学),瀧澤俊広(日本医大)が幹事を務めさせていただき,学会のなかで生殖系研究の輪を広げ,若手研究者の育成・支援を目的として,第121回日本解剖学会(福島;2016年)より開催しております(以下に今までの話題と演者を記載).活発な討議とともに,懇話会終了後は,引き続き,懇親会において地元料理を楽しみながら,さらに交流を深めております.

第1回生殖系懇話会(2016年)①胎盤におけるmiRNA の発現と役割(日本医大・瀧澤俊広)② ISH による生殖系臓器におけるノンコーディングRNA の発現解析(日本医大・Banyar Than Naing)

第2回生殖系懇話会(2017年)①マウス精巣に於ける特異的miRNA の組織化学的発現解析による新たなエピジェネティック因子機能解析(長崎大学・遠藤大輔)②精巣の組織化学(熊本大・若山友彦)

第3回生殖系懇話会(2018年)①農薬のサイエンス:ネオニコチノイド系農薬を中心に(東海大学・寺山隼人)②新生児期の母児分離が引き起こすマウス雄性生殖器系への影響(東京医大・宮宗秀伸)

第4回生殖系懇話会(2019年)①細胞内局在の異なるERαによる細胞死の制御機序(東京医大・Mierxiati Saimi)②ヒストンメチル化酵素Kmt2b の下流探索で同定された精子形成に必須なTsga8 の解析(横浜市立大学・小林裕貴)[125~127回解剖学会においてはコロナにより中止]

第5回生殖系懇話会(2023年)①男性ホルモンによる性差形成と生殖機能の成熟(久留米大学・嶋雄一)

(日本医大 瀧澤俊広)

リンパ・免疫系懇話会

 本懇話会の歴史は古く,30年以上,継続して参りました.立ち上げられたのは,福本哲夫教授(山口大学)・伊藤恒敏教授(東北大学)のお二人です.解剖学会にリンパ・免疫系の研究を根付かせ広げてゆこうという,強いお気持ちがあったと伺っています.その情熱は藤倉義久教授(大分大学)・佐々木克典教授(信州大学)に受け継がれました.現在の世話人が3代目です.

 この懇話会では,リンパ・免疫系の器官や細胞について,多岐にわたる研究を紹介して参りました.解剖学者だけではなく,免疫学者や各種臨床家をゲストとしてお招きし,幅広__い視野でリンパ・免疫系を捉えるように心がけています.この懇話会を起点にし,研究方法を検討したり共同研究に繋げたりと,参加者どうしの研究を推進する上でも貴重な場となっています.近年は,解剖学の研究を再生医療分野などへ臨床応用するための議論も進めて参りました.

 2023年3月の解剖学会では,コロナ禍による懇話会の中断が明け,久保田義顕教授(慶應義塾大学医学部 解剖学教室)の「血管・リンパ管内皮細胞の可塑性とそのメカニズム」のご講演を拝聴しました.この分野の秘めた可能性に胸が膨らむ思いでした.

 この懇話会をここまで続けることができましたのも,解剖学会のみなさまのご協力あってのことと感謝しています.リンパ・免疫系は,臨床的にも益々注目が集まっている分野です.他分野の研究をされている先生方にもお声がけをし,充実した懇話会にしてゆきたいと思います.今後ともどうぞ宜しくお願いいたします.

(弘前大学 下田浩,獨協医科大学 徳田信子)

解剖技術研究・研修会

 解剖・組織技術研究会は日本解剖学会・認定解剖組織技術者資格審査委員会が認定する技術職員の研修と交流を目的とした会です.2002年に発足し,2003年から3月の研修会とは別に年に一度独自の研修会を行っています.今年で24回開催となりました.3月に「解剖技術研究・研修会」,11月に「解剖・組織技術研修会」の2つを開催しています.研修会は実際に解剖業務を担当している技術職員に対応したものとなっており,防腐処置方法,感染症対策,サージカルトレーニング等について,発表形式,討論形式,講演方式で行われています.研修会には解剖学教員の参加,助言もいただき,相互理解の一助となっています.近年の献体に関わる不適切事案を受けて,間違いの無い業務遂行や技術の向上のために技術職員同士が情報交換・情報共有することの重要性が一段と高まったことと思われます.その一端を担うためにも,できるだけ敷居を低くし,全国の解剖学教室・技術職員が気軽に参加できるように努力しています.一方,研究会では日頃からホームページ,メーリングリストを活用し,会員間の日々の問題解決や情報交換にも積極的に寄与しています.

 11月の実務担当者研修会翌日には独自の研修会を開催していますが,実務担当者研修会で取り上げられたテーマを翌日の研修会でも角度変えて現場担当者の目線で問題点,改善点を討論しています.大きな話題も含め身近な改良,工夫などの発表・議論の場としても機能してきました.これからも貴重な交流の機会と位置付け,さらなる充実を図り,継続していく所存です.

(獨協医科大学 櫻井秀雄)

神経解剖懇話会

 「神経解剖懇話会」は,第128回日本解剖学会学術集会(2023年3月)におきまして,永井裕崇先生(神戸大)のオーガナイズで,公募シンポジウム「行動を制御する特異的神経回路とその可塑性メカニズム」として55回目を開催いたしました.コロナ感染症蔓延の影響により,長らくオンサイト開催が叶いませんでしたが,この度は実に4年ぶりに対面による講演が実現いたしました.4名の御講演をいただきました.笠井淳司先生(大阪大)は,ストレス応答に関わる神経機構について前障を中心とした神経回路を全脳的イメージング技術で解析したお話をご発表くださいました.本城咲季子先生(筑波大)は,睡眠/覚醒の制御メカニズムについて様々な脳領域の活動がどのように関わるのかを神経活動操作技術による解析で調べたことをお話しくださいました.國石洋先生(福井大)は,社会性や情動行動に関与する眼窩前頭皮質から扁桃体へ投射する神経投射回路に注目し,個体レベルの社会的相互作用の剥奪がどのように影響するかについて講演してくださいました.船橋靖広先生(藤田医科大)のお話は,忌避行動の学習について,リン酸化プロテオミクス法を用いた徹底的なキナーゼ基質の検索によって分子シグナリングメカニズムを明らかにしたものでした.おかげさまで,立ち見が出るほどの大盛況でして,フロアでの充実した議論もございました.

 次回の神経解剖懇話会は,2024年3月の解剖学会学術集会におきまして,小西博之先生(名古屋大)のオーガナイズで「脳の境界部」に注目した会を企画してくださっております.多くの方々に興味を持ってもらって,ご参加いただければ,大変嬉しく思います.

(大阪大学大学院歯学研究科 古田貴寛)

(このページの公開日:2024年4月9日)

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