三木成夫の解剖学,哲学,芸術性

坂井 建雄
順天堂大学

出典:解剖学雑誌97巻pp.68~69 (2022)(許可を得て転載)
図1
図1 三木成夫,1986年暮

三木成夫(1925~1987)は人生のある時期に,解剖学の研究者であり教育者であった.しかしその後は解剖学から生命哲学を語るようになり,芸術家たちにも影響を与え,人々の記憶に残り続けている.三木成夫が何者であるかを語るのは,容易なことではない.(図1)

 三木は東京藝術大学に在職中の1987年8月13日に,脳内出血によって亡くなった.しばらくしてから,さまざまな人たちが三木の死を強く惜しむようになった.1989年8月には『三木成夫追悼文集』が編まれ,医学・生物学43人,芸術37人,友人14人,親族8人が寄稿している.11月には没後の最初の著作集『生命形態の自然誌 第一巻 解剖学論集』(うぶすな書院1989)が刊行された.遺稿を集めた著作集は,うぶすな書院から6点,築地書館から2点,河出書房新社から文庫で2点を数える.三木の思想に注目した雑誌『現代思想』は,1994年3月に特集「三木成夫の世界」を出している.

 1989年7月に平光厲司・養老孟司・和氣健二郎が世話人となって第1回三木成夫記念シンポジウム「発生と進化」が,東京大学総合研究資料館ホールで開催された.このシンポジウムは2010年7月の第19回まで,東京大学,東京医科歯科大学,順天堂大学,東京藝術大学,鶴見大学を会場として開催された.話題は解剖学,哲学,芸術と多岐にわたり,講演者は延べ130名に及ぶ.2013年に三木の出身地の香川で開かれた第118回日本解剖学会総会・学術集会(2013)では,教育講演「香川が生み出した思想家・解剖学者,三木成夫の生涯と業績」が企画され,三木を知る4名が講演をした.『発生と進化:三木成夫記念シンポジウム記録集成』(哲学堂出版2020)には,これらシンポジウムの記録と三木についての論考・エッセイが収められている.

三木成夫の略歴

 三木は1925〔大正14〕年12月24日に丸亀市に生まれ,終戦直前の1945〔昭和20〕年3月に岡山の第六高等学校理科甲類を卒業し,九州帝国大学工学部航空機学科に入学した.翌年3月に廃科のため退学し,4月に東京帝国大学医学部に入学した.同級生に淺見一羊(1924~2022,後に順天堂大学教授)がいる.大学は1947〔昭和22〕年9月に東京大学と改称,三木は1年の留年で1951〔昭和26〕年3月に卒業した.同付属病院で1年間の実地修練を経て1952〔昭和27〕年4月から同大学院医学研究科に入学し,解剖学教室(小川鼎三教授)に入局した.7月に医師国家試験にも合格.1955〔昭和30〕年10月に文部教官助手になり,1957〔昭和32〕年1月から東京医科歯科大学医学部第一解剖学教室(山田平彌教授)助教授,1963〔昭和38〕年12月に東京大学から医学博士の学位授与,1966〔昭和41〕年10月から第三解剖学教室(萬年甫教授)に移動した.1969〔昭和44〕年10月から東京藝術大学美術学部講師を併任して生物学を教えた.1973〔昭和48〕年6月から東京藝術大学に保健管理センターの助教授として着任し,1979〔昭和54〕年4月に同所長・教授となった.1987〔昭和62〕年8月13日,脳内出血により逝去,享年61歳であった.

 妻の桃子(旧姓竹谷)とは1961〔昭和36〕年に結婚,1968〔昭和43〕年に長女,1973〔昭和48〕年に長男をもうけている.

三木成夫にとっての解剖学

 解剖学では人体や生物体の形態が事実として記述されるが,そこには必ず何かの意味が付与されている.その意味の見いだし方には,機能論と先験論と物質論の3つがあると拙著『からだの自然誌』(東京大学出版会1993)に書いたことがある.さらに臨床的な意味を加えることもできよう.

 三木成夫は解剖学者として,事実の発見よりも形態の意味を強く求めていた.東大の解剖学に入局する際に「10年間はアルゲマイネ(総論)をやらせてください」と小川教授に申し出たとか(平光,『追悼文集』),ようやく10年目に動物胚への血管注入を浦良治から学んで処女論文「サンショウオに於ける脾臓と胃の血管―とくに二次静脈との発生学的関係について」(解剖誌1963)を著して学位をとった.しかし事実を探究する研究は2年後の第2の論文「脾臓と腸管二次静脈との関係―ニワトリの場合」(解剖誌1965)が最後であった.三木は医科歯科大学(1957~)での解剖学講義にさらに磨きをかけて学生たちをひきつけ,東京藝術大学美術学部講師を併任(1969)して生物学を教えるようになった.

 人体構造についての三木の哲学は,「解剖生理」(1966,『高校看護・基礎医科学』の一部),および「ヒトのからだ―生物史的考察」(1968,小川鼎三編『原色現代科学事典6―人間』の1章)によく書かれている.人体の器官を植物性と動物性に大別すること,宗族発生と個体発生という二重の歴史があることを踏まえ,植物性器官に吸収系(吸収-呼吸系),循環系(血液-脈管系),排出系(泌尿・生殖系)の3つを,動物性器官に受容系(感覚系),伝達系(神経系),実施系(運動系)の3つを区別している.

三木成夫による生命哲学

 1973〔昭和48〕年6月に,三木は東京藝術大学の保健管理センターの助教授へと転職する.藝大美術解剖の中尾の発案によるものである.藝大に移って解剖学の教育・研究という重圧から解放され,三木は生き生きと生命哲学を語るようになった.美術学部で生物学の講義を行い,その名講義に音楽学部の学生や学外の三木ファンも聴講に来て,その一部は保健管理センターの三木のオフィスに集まるようになった.三木はあちこちの大学にも招かれて講義を行い,そこにも「三木教の信者」(中井準之助,『追悼文集』)が次々と現れた.

図2 胎児の顔,三木成夫によるスケッチ

 三木の生命哲学は,「生命の形態学」(『綜合看護』1977–79)にまとまって形で書かれている.人体学総論として①生の原形,②植物と動物,③動物の個体体制,人体構造原論として④消化系,⑤呼吸系,⑥循環系まで書かれ,未完で終わった.らせんとリズムを宇宙の根源現象と捉え,生の波として食と性の位相交替を強調する.食と性の波をもつ植物機能は太古からの生命記憶を受け継ぐ「遠」であり,感覚と運動に没頭する動物機能は「近」である.植物の発生が天空に向かって伸びる「つみ重ね」であるのに対し,動物の発生は両極の間に増殖する「はめ込み」である.そして動物体制の原形が前後に伸びる二重の円筒として,見事なシェーマで描かれる.三木の生命哲学は,「動物的および植物的―人間の形態学的考察」(『モルフォロギア』1980)や『内臓のはたらきと子どものこころ』(1982)の中でさらに展開されている.『胎児の世界―人類の生命記憶』(中公新書1983)で三木の名は一躍世に知られるようになった.ヒトに至る進化の歴史が,個体発生と絡めて生命記憶として述べられる.自分の子どもを持つようになって発生学の研究を続ける意欲を失ったこと,藝大の学生の性教育のために胎児の顔のスケッチを見せようと思い立ち,その頃まで保存していた胎児標本の一部を切断したエピソードが語られる.(図2)

三木成夫という芸術

 東京医科歯科大学での解剖学の講義で,東京藝術大学の保健管理センターおよび生物学の講義で,他の大学での講義や講演で,また数多くの人たちとの邂逅を通して,三木成夫は強烈な魅力を周囲に放っていた.その魅力の基底には三木の解剖学があり生命哲学があるのだが,著作として書き残されたものを見ても,それは三木が放つ魅力のほんの残滓にしか過ぎない.私は東京大学医学部在職中に三木の講義を一度だけ聴講しご挨拶したが,三木という人間の真価が著作をはるかに凌駕することをただちに了解した.

 布施英利(東京藝術大学美術解剖学教授)は藝大在学中に強い影響を受けた三木成夫について『人体 5億年の記憶―解剖学者・三木成夫の世界』(海鳴社2017)を書いている.ここでは三木による奇妙な授業との出会いから始まり,三木の解剖学のエッセンスを紹介し,三木の人間観が述べられている.芸術家から見ると,解剖学者としての三木成夫が強く印象づけられるのだろう.

 では解剖学者たちは,三木成夫を何ものと見るのだろうか.解剖学者の中で三木をおそらく最もよく知り深く敬愛する後藤仁敏は,「三木成夫の生涯と業績」(『モルフォロギア』1994)の中で三木の解剖学の業績よりも,思想・学問の偉大さを強調する.三木による脊椎動物の原型を金科玉条のように信じても,そこから解剖学の新たな発見が生まれる訳ではない.解剖学者としてのキャリアよりも東京藝術大学へと移ってからの活躍の方がはるかに輝いて見える.

 三木成夫は,実際のところ素晴らしく偉いと思う.しかし解剖学の研究業績によるのでもなければ,書き残した思想・学問によるのでもない.三木成夫そのものが,生ける芸術であったのだと思う.養老孟司は言う,「私自身,三木先生にどういう影響をうけたか,十分には説明不能だからである.とくに三木先生の考え自体ではなくても,三木先生の言動に触発されて考えたこと,考えざるを得なかったことは数多い.」(『発生と進化』2020)と.

 没後35年が経ち,三木成夫の名前とそこにまつわる言説はしっかりと生き残っているが,個人的に知る人は随分と減ってきた.三木のほんの一端しか知らず医史学者である私が,歴史上の人物として三木成夫を紹介する記事を書くべき時期がやってきたのかも知れない.

 図版の掲載にあたっては,著作権継承者三木桃子氏の許可をいただいた.深く感謝したい.

(このページの公開日:2024年4月9日)

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