胃壁細胞におけるエストロゲン合成分泌に関する研究

山形大学医学部解剖学第一(形態構造医学)講座
小林 裕人

出典:解剖学雑誌94巻pp.3~4 (2019)(許可を得て転載)

 この度は日本解剖学会奨励賞という,歴史ある賞を賜り,選考委員の先生方をはじめとする学会の関係者各位に厚く御礼申し上げます.このような栄誉ある賞を受賞できたのは,日頃からご指導頂いた先生方や共同研究者の先生方,また,いつも温かいご支援と励ましを頂きました方々のお陰だと思っています.この場をお借りして深く感謝申し上げます.今回,奨励賞受賞者の紹介という形で解剖学会誌上に執筆の機会を与えて頂きましたので,私のこれまでの経歴と,受賞の対象となった研究内容について簡単に紹介させて頂きたいと存じます.

 私は岩手県北上市に生まれ,父親の転勤の都合により埼玉県大宮市(現さいたま市)で小学校から高校まで過ごしました.中学校の理科の授業で精緻な人体の構造に魅了され,その頃から漠然とではありますが医療や解剖学に興味を抱いていました.大学進学では東北に親戚がいたこともあり,山形大学医学部看護学科に進学しました.そこで渡辺皓教授(現山形大学名誉教授)と出会い,これがより深く解剖学の道に進む契機となりました.看護学科卒業後は,とりあえず看護師・保健師免許は取得しましたが,臨床で看護師として働くよりも長く解剖学に携わっていたいと考え大学院への進学を希望しました.しかし,定年退官の都合により渡辺先生の下での進学が叶わなかったため,山形大学医学部解剖学第一講座の内藤輝教授をご紹介頂くこととなり,これが解剖学に傾倒していく次のきっかけとなりました.

 解剖学第一講座の先生方は大学院生として右も左も分からない私を快く受け入れてくださいました.内藤先生はヒトを対象に上肢運動機構の機能解剖学的および神経生理学的解析をされていましたが,私は准教授の白澤信行先生(現東北文化学園大学教授)のもと,薄切や染色など組織学の基礎の基礎から叩き込まれ,忙しくも充実した日々を送っていました.白澤先生は下垂体を専門とされていましたが,和歌山県立医科大学在任中に故上山敬司先生の“Gastric parietal cells:potent endocrine role in secreting estrogen as a possible regulator of gastro-hepatic axis; Ueyama et al., 2002”と“Estrogenproducing steroidogenic pathways in parietal cells of the rat gastric mucosa; Ueyama et al., 2004”の共著者として発表をされており,これが私と研究題目との出会いでした.私自身,料理や食事が好きなことや,親族に胃癌患者がいたこともあり,消化管で胃酸を分泌する壁細胞が性ホルモンであるエストロゲンを産生するというセンセーショナルなテーマに魅了されました.

 大学院生時代には上山先生が報告されていた門脈結紮に加え,部分肝切除,胆管結紮によって胃から分泌されるエストロゲンの循環動態を検討しました(Kobayashi et al., 2013a, 2013b).1)門脈結紮により胃のエストロゲンは奇静脈を介して体循環に流入するため,動脈血中の 17β-estradiol 値は術後3日目までは非常に高くなります.しかし,エストロゲンは肝動脈を経由して肝臓に多量に流入するようになるため,術後4週経過すると対象群の門脈血と同程度にまで低下するようになります.2)肝臓の80%部分切除では,肝臓を素通りするエストロゲンが増加し,術後3日目まで動脈血中の 17β-estradiol 値が上昇します.しかし,肝臓の再生回復と共に動脈血中 17β-estradiol 値は徐々に低下し,肝重量が元の84%にまで回復する術後2週では対象群とほぼ同程度の値となります.3)胆管結紮では不可逆的な胆汁性肝障害が生じるため,術後2日で動脈血中のビリルビン値と 17β-estradiol 値が大幅に増加し,術後7日でも同程度の高値を示します.特に,最初の2つの実験群では,エストロゲンの影響を受ける下垂体の変化も検討しました.門脈中に分泌された胃のエストロゲンが肝障害に伴って消費されることなく体循環に流入し,末梢の器官に様々な変化をもたらすことを見出しました.内藤先生,白澤先生をはじめ,多くの先生のお陰で初めて論文として発表することができ,この時の喜びは今でも鮮明に覚えています.

 修士課程修了(見込み)の際に,私は一度臨床経験を積むべきか,そのまま博士課程に進学するべきか大いに悩みました.なぜなら,看護師に限らずコメディカル系の人間が教員のポストにつく際には経歴に「(3~5年の)臨床経験」を問われることが多く,将来は解剖学で教鞭を取りたいと考えていた私には頭の痛い問題でした.仙台で開催された合同病院説明会なるものに参加し,各病院のパンフレットを眺めながら「オペ看ならありか」と悶々とした日々もありました.そんな折,白澤先生から進学に対するアドバイスを頂き,博士課程への進学を決めました.今考えると体よく丸めこまれた気もしますが,取得した免許たちは殆ど日の目を見ることはなく,これが解剖学に傾注する大きな転機となりました.幸い,解剖学第一講座のポストにお声掛け頂いたことで助教としての一歩を踏み出すことができ,今日に至っております.

 続いて胃のエストロゲン合成分泌の生後発生を検討しました(Kobayashi et al., 2013c).胃は胃酸を外分泌すると同時にGastrin やGhrelin などの内分泌器官でもあり,これらは生後0~5日令で胃粘膜上皮組織に発現が確認できます.しかし,エストロゲン合成酵素Aromatase は生後20日令頃まで胃粘膜上皮には発現せず,そこから徐々に発現し始めて30~40日令でプラトーに達することを明らかにしました.門脈血中の 17β-estradiol 値も20日令以降から徐々に増加し始めますが,体循環の動脈血中の値はほぼ横ばいで推移します.胃のエストロゲン産生は他の内分泌系とは制御機構が異なり,肝重量や肝臓のエストロゲン受容体mRNA 量と強い正の相関関係が認められることからも,胃のエストロゲンは肝臓の分化と成長に大きく寄与していることが示唆されました.次にエストロゲンとの関連性が強い性周期について検討しました(Kobayashi et al., 2014).周知の通り動脈血中の卵巣17β-estradiol よる値は性周期に沿った変動を示しますが,胃 17β-estradiol よる門脈血中の値は動脈血よりも常に高く,性周期の伴う変動はしません.胃粘膜上皮中のAromatase タンパク質量にも性周期の伴う変動はなく,各ステージにおける卵巣と胃粘膜上皮のAromatase mRNA 発現量の比較では,発情前期では卵巣の方が高いものの,その他のステージでは胃の発現量が高い値を示します.以上の結果から,卵巣は視床下部下垂体性腺系に制御され,一定の周期で瞬発的にエストロゲンを合成して体循環に分泌しているのに対し,胃壁細胞で行われるエストロゲン合成は視床下部下垂体性腺系や性周期の影響を受けず,大きな変動もせずに恒常的にエストロゲンを産生し,門脈中に分泌し続けているということが明らかとなりました.

 消化管である胃には摂食による日周期があるのではと考え,胃 17β-estradiol の日内変動を検討しました(Kobayashi et al., 2016).動脈血中の 17β-estradiol 値には日内変動があり,24時に最高値を,12時に最低値を示し,門脈血中の値も同様の日内変動を示します.12時と24時でWestern blotting による胃粘膜上皮の単位重量当たりのAaromatase タンパク質量に差は認められませんが,24時の胃粘膜上皮の厚さが有意に増大していることから,Aromatase タンパク質の総量は夜間に増加していると推察されました.動脈血中 17β-estradiol 値の日内変動は日中に最高値,夜間に最低値を示す肝臓のエストロゲン受容体の日内変動に加え,胃の 17β-estradiol 合成分泌に起因していることが示されました.この実験系は4時間毎にラットをサンプリングしていく計画でしたが,当時定年間近だった白澤先生にお付き合い頂き無事に完遂することができました.実験が終わった頃には二人とも寝不足でフラフラだった記憶もあり,とても印象深い研究となっています.ここまではラットを用いた研究内容でしたが,やはりヒトで検討すべきだということでヒトの胃生検組織を用いてAromatase 発現を検討しました(Kobayashi et al., 2018).以前からヒトの胃癌組織や胃癌の細胞株で 17β-estradiol やProgesterone,それらの受容体やAromatase が発現していることは報告されていましたが,正常組織で細胞を同定するには至っていませんでした.そこで,病理畑におられた山形県立保健医療大学教授の前田邦彦先生(現学長)にご協力頂き,手術で採取された胃生検材料で炎症やびらん,腸上皮化生などの変性が見られない病変の辺縁組織のサンプルを用いて実験を行いました.老若男女問わず胃粘膜上皮にAromatase 抗体陽性細胞が見られ,H+/K+-ATPase β-subunit との共局在が確認されました.また,有意差の検討までは至らなかったものの,性別や年齢による差はみられません.これによりヒトの胃壁細胞もラットと同様にAromatase を有し,エストロゲンを産生していることが明らかとなりました.門脈からの採血が難しいことが,胃のエストロゲンが認識されなかった原因かも知れません.

 今後は胃のエストロゲンが何の為に,特に肝臓においてどのような役割をしているのか,また,胃のエストロゲンが何に制御されているのか,そして疾患との関連性や臨床応用なども探求していければと考えています.

 大学院生になりたての頃,白澤先生に「穴のない丁寧な仕事をしなさい」と教わりました.以来,常に心掛けてはきましたが,恥ずかしながらそれを達成できているか自分ではよく分かりませんでした.今回,奨励賞を頂くにあたり選考委員会の先生方から「堅実な仕事,地道な研究展開で,継続的な論文発表,学会発表を評価する」とのコメントを頂き,感無量な思いになりました.今回受賞に至ったのも,内藤輝先生をはじめ,これまでご指導頂いた解剖学第一講座の先生,日頃から励ましとご指導を頂いている後藤薫教授と解剖学第二講座の先生方,山形県立保健医療大学の先生方,解剖学への道を開いて頂いた山形大学名誉教授の渡辺皓先生,さらには残念ながら2017年にご逝去された和歌山県立医科大学の上山敬司先生のお陰であることは言うまでもありません.この場をお借りして改めて関係各位に感謝申し上げると共に,上山先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます.最後になりましたが,今後も研究,教育に勤しみ,解剖学の発展に貢献したいと考えておりますので,今後ともご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます.

Ueyama T et al. (2002) Endocrinology 143: 3162-3170.
Ueyama T et al. (2004) Life Sci 74: 2327-2337.
Kobayashi H et al. (2013a) Endocrine. 43: 170-183.
Kobayashi H et al. (2013b) J Endocrinol. 219: 39-49.
Kobayashi H et al. (2013c) J Endocrinol. 218: 117-124.
Kobayashi H et al. (2014) Endocrine. 46: 605-614.
Kobayashi H et al. (2016) Endocrine. 53: 565-573.
Kobayashi H et al. (2018) Histochem Cell Biol. 151: 21-28.

(このページの公開日:2020年10月1日)

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